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1956年(昭和31年)から1966年(昭和41年)1月号まで発刊された、[[須磨利之]]、[[濡木痴夢男]]などが編集長をつとめたSM雑誌。終刊後、[[サスペンスマガジン]]がその流れを引き継ぎ、さらに1980年(昭和55年) | 1956年(昭和31年)から1966年(昭和41年)1月号まで発刊された、[[須磨利之]]、[[濡木痴夢男]]などが編集長をつとめたSM雑誌。終刊後、[[サスペンスマガジン]]がその流れを引き継ぎ、さらに1980年(昭和55年)まで続く。編集部には[[浦戸宏]]や[[椋陽児]]がいた。 | ||
== 発行年・出版社== | == 発行年・出版社== | ||
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1956年(昭和31年)、[[須磨利之]]を編集人に[[久保書店]]から創刊。 | |||
1957年(昭和32年)3月号、『'''妖艶毒婦姦婦特集号'''』 | 1957年(昭和32年)3月号、『'''妖艶毒婦姦婦特集号'''』 | ||
1957年(昭和32年)12月、[[濡木痴夢男]]の『青い顔の男』が飯田豊吉のペンネームで掲載。 | |||
1960年(昭和35年)10月号、中とじになる。 | |||
1961年(昭和36年)、[[裏窓]]1962年(昭和37年))1月号から[[須磨利之|須磨]]の後を継いで編集長に<ref group="注">『緊縛ナイショ話・61』では1960年となっている。</ref>。 | |||
1969年(昭和44年)、[[須磨利之]]と[[濡木痴夢男]]が[[久保書店]]を去る。 | |||
==別冊・増刊号== | ==別冊・増刊号== | ||
*『'''妖奇絵物語特集'''』[[裏窓]]1960年(昭和35年)10月増刊号。(表紙:[[秋吉巒]]。[[山田彬弘]]、[[中島喜美]]、[[歌川大雅]]など) | *『'''妖奇絵物語特集'''』[[裏窓]]1960年(昭和35年)10月増刊号。(表紙:[[秋吉巒]]。[[山田彬弘]]、[[中島喜美]]、[[歌川大雅]]など) | ||
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*[[夜久勉]]が[[日本特集出版社]]名で『[[風俗草紙]]』を刊行するために、『[[奇譚クラブ]]』の[[須磨利之]]を大阪から招いた。だが『[[風俗草紙]]』の仕事だけでは不安定なので、[[夜久勉|夜久]]と[[久保藤吉|久保]]の小出版社同士の関係から、[[久保書店]]も須磨を編集長として『[[裏窓]]』を出すことになる<ref name="ex01">[http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20091119/1258559991 古本夜話10 『マンハント』編集長 中田雅久] </ref>。 | *[[夜久勉]]が[[日本特集出版社]]名で『[[風俗草紙]]』を刊行するために、『[[奇譚クラブ]]』の[[須磨利之]]を大阪から招いた。だが『[[風俗草紙]]』の仕事だけでは不安定なので、[[夜久勉|夜久]]と[[久保藤吉|久保]]の小出版社同士の関係から、[[久保書店]]も須磨を編集長として『[[裏窓]]』を出すことになる<ref name="ex01">[http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20091119/1258559991 古本夜話10 『マンハント』編集長 中田雅久] </ref>。 | ||
*1956年(昭和31年)に『[[かっぱ]]』という誌名で創刊されたが、「カッパの本」の光文社からクレームがつき改名<ref>[[濡木痴夢男]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309481574?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309481574 「奇譚クラブ」とその周辺]』([[河出書房新社]], 2006)</ref>。 | *1956年(昭和31年)に『[[かっぱ]]』という誌名で創刊されたが、「カッパの本」の光文社からクレームがつき改名<ref>[[濡木痴夢男]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309481574?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309481574 「奇譚クラブ」とその周辺]』([[河出書房新社]], 2006)</ref>。 | ||
*「中野の編集部近くに挿絵画家の重鎮、[[小日向一夢|木俣清史]]の邸宅があった。須磨と濡木は挿絵を依頼するためによくうかがった」<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref> | *「中野の編集部近くに挿絵画家の重鎮、[[小日向一夢|木俣清史]]の邸宅があった。須磨と濡木は挿絵を依頼するためによくうかがった」<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref> | ||
*1960年代始めの編集者は[[浦戸宏]]、滝本喜美。 | *1960年代始めの編集者は[[浦戸宏]]、滝本喜美。 |
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概要
1956年(昭和31年)から1966年(昭和41年)1月号まで発刊された、須磨利之、濡木痴夢男などが編集長をつとめたSM雑誌。終刊後、サスペンスマガジンがその流れを引き継ぎ、さらに1980年(昭和55年)まで続く。編集部には浦戸宏や椋陽児がいた。
発行年・出版社
1956年(昭和31年)、久保書店
発行人・編集人
主な出来事
1956年(昭和31年)、須磨利之を編集人に久保書店から創刊。
1957年(昭和32年)3月号、『妖艶毒婦姦婦特集号』
1957年(昭和32年)12月、濡木痴夢男の『青い顔の男』が飯田豊吉のペンネームで掲載。
1960年(昭和35年)10月号、中とじになる。
1961年(昭和36年)、裏窓1962年(昭和37年))1月号から須磨の後を継いで編集長に[注 1]。
1969年(昭和44年)、須磨利之と濡木痴夢男が久保書店を去る。
別冊・増刊号
エピソード
- 夜久勉が日本特集出版社名で『風俗草紙』を刊行するために、『奇譚クラブ』の須磨利之を大阪から招いた。だが『風俗草紙』の仕事だけでは不安定なので、夜久と久保の小出版社同士の関係から、久保書店も須磨を編集長として『裏窓』を出すことになる[1]。
- 1956年(昭和31年)に『かっぱ』という誌名で創刊されたが、「カッパの本」の光文社からクレームがつき改名[2]。
- 「中野の編集部近くに挿絵画家の重鎮、木俣清史の邸宅があった。須磨と濡木は挿絵を依頼するためによくうかがった」[3]
- 1960年代始めの編集者は浦戸宏、滝本喜美。
引用文献
お役たちweb
つながり
裏窓叢書
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