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頂点を上にして横に置いた三角柱を跨がせることで股間を責める拷問具。ヨーロッパでは遅くとも17世紀ごろから使われていたようで、[[Spanish donkey]]として知られる。日本でも『'''落穂集'''』(1727)に年貢を払わない百姓を「木馬ニ乗せ責」めたとの記述がある。戦後、[[伊藤晴雨]]らが[[責め]]の1つとして絵画などで紹介し、その後SMのモチーフの1つとして、小説、絵画、写真、映画などに広く登場する。
==概要==
==概要==
大道寺友山『落穂集』(1727)巻三『秋<sub>ニ</sub>至り収納之事』の中に「惣て七十年余も以前之義は諸国共ニ秋先ニ至り候ても其村々名主たる者之家ニハ水牢[[木馬]]抔と申すものを支配いたし、百姓共の中ニて私欲をかまへ収納致兼候ものハ件の水牢ニ被入[[木馬]]ニ乗せ責て収納為致候所ニ近年ハ在辺之百姓共も正路ニ罷成律儀ニ収納致にや、彼水牢木馬等之沙汰を承候ハず<ref>「一般的に七十年以上前には諸国共に秋口になると村々の名主たる者の家には水牢木馬などというものを設置し、百姓の中に私欲をはり納税しない者はその水牢に入れ、木馬に乗せ責めて納税させたものですが近年は何処でも百姓も正直になり、律儀に納税するためか彼の水牢木馬等のことは聞いて居りません」
大道寺友山『落穂集』(1727)巻三『秋<sub>ニ</sub>至り収納之事』の中に「惣て七十年余も以前之義は諸国共ニ秋先ニ至り候ても其村々名主たる者之家ニハ水牢[[木馬]]抔と申すものを支配いたし、百姓共の中ニて私欲をかまへ収納致兼候ものハ件の水牢ニ被入[[木馬]]ニ乗せ責て収納為致候所ニ近年ハ在辺之百姓共も正路ニ罷成律儀ニ収納致にや、彼水牢木馬等之沙汰を承候ハず<ref>「一般的に七十年以上前には諸国共に秋口になると村々の名主たる者の家には水牢木馬などというものを設置し、百姓の中に私欲をはり納税しない者はその水牢に入れ、木馬に乗せ責めて納税させたものですが近年は何処でも百姓も正直になり、律儀に納税するためか彼の水牢木馬等のことは聞いて居りません」
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西欧でも17世紀ごろから拷問具として同様の装置が利用されていたようで、'''[[Spanish donkey]]'''とも呼ばれ、19世紀の米国南北戦争でも使われていた。
西欧でも17世紀ごろから拷問具として同様の装置が利用されていたようで、'''[[Spanish donkey]]'''とも呼ばれ、19世紀の米国南北戦争でも使われていた<ref name="‎#Wikipedia">[https://ja.wikipedia.org/wiki/ Wikipedia]より</ref>。


==別名==
==別名==
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*[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)9月号のp141の囲み記事、失念生『'''アイデア3 五種の責'''』のAに「[[木馬責め]]」が記載。
*[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)9月号のp141の囲み記事、失念生『'''アイデア3 五種の責'''』のAに「[[木馬責め]]」が記載。
*[[甲斐仁参]]『'''[[木馬責め]]に関するノート'''』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)4月号。挿絵:[[栗原伸]]。
*[[甲斐仁参]]『'''[[木馬責め]]に関するノート'''』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)4月号。挿絵:[[栗原伸]]。
*1970-80年代に新大久保にあったラブホテル、「[[夢の城]]」の『真珠の間』には「檻」や「[[三角木馬]]」が設置されており、[[濡木痴夢男]] 他がSM雑誌の撮影で利用していた。


==分譲写真==
==分譲写真==
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画像:SeishiroUeda.jpg|[[上田青柿郎]]『'''[[木馬責め]]滑車責め'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号
画像:SeishiroUeda.jpg|[[上田青柿郎]]『'''[[木馬責め]]滑車責め'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号
画像:Nakagawa04.png|[[土居啓子]]『'''鞍馬地獄'''』[[画報風俗奇譚]] 1960年(昭和35年)5月号
画像:Nakagawa04.png|[[土居啓子]]『'''鞍馬地獄'''』[[画報風俗奇譚]] 1960年(昭和35年)5月号
画像:KitanClub1967Ext01.png|[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)『'''女性刑罰拷問特集'''』より。
画像:kaksuga4.jpg|[[堂昌一]]『'''[[木馬]]と繩'''』 「SM文学別館1 耽美の発見」([[耽美館]] , 1969)より
画像:kaksuga4.jpg|[[堂昌一]]『'''[[木馬]]と繩'''』 「SM文学別館1 耽美の発見」([[耽美館]] , 1969)より
画像:KojiNagata01.png|[[軽井仁兵]]『'''黒い斜塔'''』(挿絵:[[長田浩次]]) [[Pocket SM]] 1970年(昭和45年)10月号。
画像:KojiNagata01.png|[[軽井仁兵]]『'''黒い斜塔'''』(挿絵:[[長田浩次]]) [[Pocket SM]] 1970年(昭和45年)10月号。
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画像:YashaKeiji1.jpg|[[夜叉螢児]] [[SMキング]] 1973年(昭和48年)6月号より
画像:YashaKeiji1.jpg|[[夜叉螢児]] [[SMキング]] 1973年(昭和48年)6月号より
画像: syouboudaishi14.png|[[小坊大師]]『'''世界の美少女 北欧の憂鬱'''』[[SMファン]]1974年(昭和49年)4月号より
画像: syouboudaishi14.png|[[小坊大師]]『'''世界の美少女 北欧の憂鬱'''』[[SMファン]]1974年(昭和49年)4月号より
画像:kitou15.png|[[島本春雄]]・文、[[鬼頭暁]]・画『'''弄鬼の乱舞'''』より「'''⑲快楽[[木馬]]'''」[[サスペンス・マガジン]] 1974年(昭和49年)4月増刊号
画像:石井まさみ01.png|『'''好色同心'''』[[SMキング]] 1974年(昭和49年)6・7月号の[[石井まさみ]]の劇画。
画像:石井まさみ01.png|『'''好色同心'''』[[SMキング]] 1974年(昭和49年)6・7月号の[[石井まさみ]]の劇画。
画像:快美小説SMClub01.png|『'''写真 拷問入門 [[木馬責め]]'''』[[快美 小説SM CLUB]] 1977年(昭和52年)8月号。
画像:快美小説SMClub01.png|『'''写真 拷問入門 [[木馬責め]]'''』[[快美 小説SM CLUB]] 1977年(昭和52年)8月号。
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画像:yume1.jpg|[[SM遊戯術]]1985年(昭和60年)12月に紹介されている[[夢の城]]の『'''真珠の間'''』にあった[[三角木馬]]。
画像:yume1.jpg|[[SM遊戯術]]1985年(昭和60年)12月に紹介されている[[夢の城]]の『'''真珠の間'''』にあった[[三角木馬]]。
画像:Taro_Yamamoto03.png|[[高主勇次]]『''' 蓮華のさだめ'''』挿絵:[[山本太郎]] [[SM秘小説]] 2000年(平成12年)11月号より。
画像:Taro_Yamamoto03.png|[[高主勇次]]『''' 蓮華のさだめ'''』挿絵:[[山本太郎]] [[SM秘小説]] 2000年(平成12年)11月号より。
画像:Watanabe_hasjime03.png|[[渡辺一]]『'''贄の花咲く杜'''』[[SMマニア]] 2001年(平成13年)5月号
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<references group="注"/>
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== お役たちweb==
== お役たちweb==
*[https://sankakumokubanokai.blog.2nt.com/ 三角木馬の会]
==つながり==
==つながり==

2024年3月28日 (木) 12:15時点における最新版

頂点を上にして横に置いた三角柱を跨がせることで股間を責める拷問具。ヨーロッパでは遅くとも17世紀ごろから使われていたようで、Spanish donkeyとして知られる。日本でも『落穂集』(1727)に年貢を払わない百姓を「木馬ニ乗せ責」めたとの記述がある。戦後、伊藤晴雨らが責めの1つとして絵画などで紹介し、その後SMのモチーフの1つとして、小説、絵画、写真、映画などに広く登場する。

概要

大道寺友山『落穂集』(1727)巻三『秋至り収納之事』の中に「惣て七十年余も以前之義は諸国共ニ秋先ニ至り候ても其村々名主たる者之家ニハ水牢木馬抔と申すものを支配いたし、百姓共の中ニて私欲をかまへ収納致兼候ものハ件の水牢ニ被入木馬ニ乗せ責て収納為致候所ニ近年ハ在辺之百姓共も正路ニ罷成律儀ニ収納致にや、彼水牢木馬等之沙汰を承候ハず[1]」とある[2]

西欧でも17世紀ごろから拷問具として同様の装置が利用されていたようで、Spanish donkeyとも呼ばれ、19世紀の米国南北戦争でも使われていた[3]

別名

木馬 木馬責 木馬責め 三角木馬 Spanish donkey Chevalet Cavalletto Wooden horse

小説・記事等

見るともなしに頁を開くと、グラビアの口絵で、女が三角型の木馬に跨って責められている絵が目に入った。跨った足の先には、両側とも錘りがつけられ、苦しさに身もだえしている光景であった。

分譲写真

映画

  • 徳川女刑罰史
  • 団鬼六 少女木馬責め 監督:加藤文彦、脚本:石井隆 にっかつ 1982

ギャラリー

引用文献

  1. 「一般的に七十年以上前には諸国共に秋口になると村々の名主たる者の家には水牢木馬などというものを設置し、百姓の中に私欲をはり納税しない者はその水牢に入れ、木馬に乗せ責めて納税させたものですが近年は何処でも百姓も正直になり、律儀に納税するためか彼の水牢木馬等のことは聞いて居りません」
  2. 古文書を楽しむ
  3. Wikipediaより
  4. https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osiol_hiszpanski_wisnia6522.JPG

注釈

お役たちweb

つながり