テンプレート:文学に見る後手高手小手

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  • 口承文芸として形成した説話、説教節の代表作でもある『山椒太夫』には「丹波の穴太より、尋ね出だし、高手小手に縛めて、国分寺へぞ引きたりける」のように、「高手小手」が使われていたようだ。他にも「愛護若」にも「いたわしや若君を、高手小手に縛め、桜の古木に吊り」と出てくる[1]。口承文芸なので「高手小手」の起源は不明だが、正本としては17世紀までさかのぼることができる。
  • 1678年(延宝6年)の菱川師宣古今役者物語』の中の「山ぜうだゆふ あんじゆのひめ(三庄太夫 安寿の姫)」に「いたはしやひめ君を、たかてこてにいましめて」とある[2]
  • 1840年代(天保)の歌川國貞の春画『繪本開談夜之殿』には「寄つてかゝつて高手小手にくゝしつけ」と、高手位置での後手縛り(胸縄はない)が描かれている。少なくともこの時期に「高手=高い位置」の解釈があったことを示す。
  • 1923年(大正12年)の真鍋儀十『地獄の黎明』(星風堂, 1923) ,p16に「何の咎で高手小手のいましめ」という章がある。
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)1月号、笠置良夫『山窩のおろく』(挿絵:宮内三郎)の中に「おろくは高手小手に縛られていた」という表記が出てくる。
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)4月号、岡田咲子巫女屋敷の責め絵巻』の中に「落ちている荒縄で高手小手に縛り上げ」という表記が出てくる。
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)7月号、染田玄『色情倒錯者の手紙』の中に「両手を高手小手に縛り上げ」という表記が出てくる。
  1. 東洋文庫「説教節」(平凡社)
  2. 『江戸時代文芸資料』(図書刊行会, 1916)