小悪征夫

提供:SMpedia
2015年9月6日 (日) 10:28時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎エピソード)

こあく ゆきお、1943年(昭和18年)-

概要

サスペンスマガジンSMファン別冊SMファンSMキングS&MスナイパーSMクラブSMコマンドSMフェニックススパークSMヤングV漫画ダイナマイト

別名

小悪一之[1]、亀有住男[1]、小圷(こあつく)征夫(本名)[1]

略歴

1943年(昭和18年)

父親はニューギニアで戦士。母親は埼玉で学校の教師[1]

1950年代、母親が死去。兄と姉と亀有で生活。画家を目指す[1]

1958年(昭和33年)頃、日立市の親戚の家に移り、高校入学。やがて都内の叔父の下に移り、都立高校に入るが退学。美術学校に通う[1]

1961年(昭和36年)頃、志村立美に弟子入りして、田園調布の志村立美宅に住み込み[1]

1963年(昭和38年)頃、志村立美から小悪征夫の名をもらい独立[1]

1963年(昭和38年)頃、お茶の水のレモン井上洋介と知り合う。その伝手で雑誌の挿絵の仕事が入る[1]

1960年代、久保書店を紹介されサスペンスマガジンなどの挿絵[1]

1970年代、風景画に興味を持ち出す[1]

1982年(昭和57年)10月1日、SMスパイダー10月創刊号の表紙や挿絵。

エピソード

  • 小悪征夫は師匠である志村立美が命名[1]
  • 高校の頃居候していた叔父は図書館長をしており、その時、多くの本を読んだ[1]
  • 尾崎士郎の知り合いの女性が志村立美に紹介状を書いてくれた[1]
  • 三崎書房の『幻想と怪奇』のイラストを書いていた縁で、三崎書房倒産後に早川佳克司書房に紹介[2]
  • 挿絵、風景画、劇画と幅を広げていく[1]
  • 「風景画には、おれの暗さが出る」[1]
  • サスペンスマガジンの仕事あたりから「女を描くってことを意識」[1]
  • 「福島正実編集長時代の早川の『EQMM 』に一度描き、それを見て学研から『ドラキュラ』の画を描いてくれという注文が来た」[1]

代表作

  • 『ファントマ』ハヤカワ文庫
  • 『タイム・マシン』角川文庫

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 平岡正明小悪征夫、絵は気ッ風と度胸の空ッ風』in 「変態的」(ビレッジセンター出版局, 1996) 
  2. 早川佳克HPより。

注釈


お役たちweb

つながり