「麻生保」の版間の差分

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1956年(昭和31年)3月、[[奇譚クラブ]]3月号に読者からの寄稿文。 
1956年(昭和31年)3月、[[奇譚クラブ]]3月号に「読者通信」に寄稿文。


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1976年(昭和51年)4月9日、永眠<ref name="‎#Wikipedia"></ref>。
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==エピソード==
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2023年12月12日 (火) 08:14時点における版

まぞっほ、あそう たもつ、やしろ あきお、1929年(昭和4年)-1976年(昭和51年)

概要

別名

麻生保 矢代秋雄

略歴

1929年(昭和4年)9月10日、美術評論家矢代幸雄の長男とし東京に生まれる[1]

1945年(昭和20年)、16歳で東京音楽学校作曲科に入学。黛敏郎と同期[1]

1951年(昭和26年)、フランス政府給費留学生として黛敏郎らと共にパリ国立高等音楽院に入学[1]

1956年(昭和31年)8月、帰国[1]

1956年(昭和31年)3月、奇譚クラブ3月号に「読者通信」に寄稿文。

1974年(昭和49年)、東京藝術大学教授[1]

1976年(昭和51年)4月9日、永眠[1]

エピソード

代表作

奇譚クラブ 1957年3,4,6、7月号

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 Wikipediaより

注釈


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