「鬼六談義」の版間の差分

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*[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)9月号『鬼六談義 好色の戒め』
*[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)9月号『鬼六談義 好色の戒め』
*[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)10月号『鬼六談義 瓢箪の話』<ref group="注" name="haga"></ref>
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**「現在、外国テレビ映画翻訳の仕事をやっている」とある。
*[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)12月号『鬼六談義 好きな人達』<ref group="注" name="haga"></ref>
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**熱海での「肉地獄」のロケに[[奇譚クラブ]]の読者A氏、B氏が招かれた話。辰巳のり子の縛りシーン。撮影隊はT旅館に滞在。
**熱海での「肉地獄」のロケに[[奇譚クラブ]]の読者A氏、B氏が招かれた話。辰巳のり子の縛りシーン。撮影隊はT旅館に滞在。
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**桂奈美、林美樹、[[谷ナオミ]]、[[辰巳典子]]などが実演に出る。
**桂奈美、林美樹、[[谷ナオミ]]、[[辰巳典子]]などが実演に出る。
**「[[赤と黒]]」(今はもうつぶれた)の女優を時々[[ピンク映画]]に出演させることがある。
**「[[赤と黒]]」(今はもうつぶれた)の女優を時々[[ピンク映画]]に出演させることがある。
**(『スターストーリー』)では「シルバースクリーン」という米国雑誌を翻訳していた。
**ピンク映画は若いプロデューサーが市場を占有し始め、15日間の撮影日数が10日、7日、3日半と短くなってきた。
*[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』
*[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』
*[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話』<ref group="注" name="haga"></ref>
*[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話』<ref group="注" name="haga"></ref>
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*[[奇譚クラブ]]1969年(昭和44年)9月号『鬼六談義 奇妙な性の話』
*[[奇譚クラブ]]1969年(昭和44年)9月号『鬼六談義 奇妙な性の話』
*[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)3月号『鬼六談義 人妻の話』<ref group="注" name="haga"></ref>
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**「今年(おそらく1969年)は・・・ピンクプロを作ってみたものの」とある。
**「テレビにまで出てしまった」とある。「談志に応援を頼んで出演」とある。
**一緒に出演した昭和女子大学の白石先生。


==[[SMキング]]連載==
==[[SMキング]]連載==

2010年5月21日 (金) 21:35時点における版

団鬼六が1964年(昭和39年)から1974年(昭和49年)まで、奇譚クラブと、続いてSMキングに不定期に書いていた随筆。当時のSM事情を知る貴重な情報源

奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1964年(昭和39年)10月号『随筆 鬼六談義 花と蛇
  • 奇譚クラブ1965年(昭和40年)2月号『鬼六談義 SMプレイの知恵』
  • 奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号『鬼六談義 映画「花と蛇」』
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)2月号『鬼六談義 日本三文映画』
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)7月号『鬼六談義 SとMは花ざかり』
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)11月号『鬼六談義 三文マニア文士』
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号『鬼六談義 三文羞恥論』[注 1]
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)3月号『鬼六談義 夜の寒鳥』[注 1]
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号『鬼六談義 三文SM人生論』[注 1]
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)7月号『鬼六談義 化物の話』[注 1]
    • 「十日間で(ピンク映画の)脚本3本というどえらい仕事を強制された」
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号『鬼六談義 カメラ嫌い』[注 1]
    • 「緊縛映画『誘拐』は、『鞭と肌』という題名にかわり、4月25日にクランクイン、5月3日にアップ。10日に試写会。伊豆山の近くでのロケの話。
    • 山本昌平、林美樹が出演。女優のほとんどは劇団「赤と黒」の団員。
    • 好きだった新高恵子可能かず子もすでにピンク映画から足を洗ってしまった。
    • カメラマンは初老のN氏。
    • 友人である婦人雑誌のカメラマンK君がロケの写真を撮ってくれる。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)9月号『鬼六談義 好色の戒め』
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)10月号『鬼六談義 瓢箪の話』[注 1]
    • 「現在、外国テレビ映画翻訳の仕事をやっている」とある。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)12月号『鬼六談義 好きな人達』[注 1]
    • 熱海での「肉地獄」のロケに奇譚クラブの読者A氏、B氏が招かれた話。辰巳のり子の縛りシーン。撮影隊はT旅館に滞在。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)3月号『鬼六談義 バラバラの話』[注 1]
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)4月号『鬼六談義 男と女の話』
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号『鬼六談義 狐の話』
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)6月号『鬼六談義 酒場の話』[注 1]
    • 東京のピンク映画館では最近実演を抱き合わせるのが多くなってきた。
    • 劇場主に頼まれそうしたアチャラカ芝居の台本を立て続けに5,6本も書かされた。
    • 桂奈美、林美樹、谷ナオミ辰巳典子などが実演に出る。
    • 赤と黒」(今はもうつぶれた)の女優を時々ピンク映画に出演させることがある。
    • (『スターストーリー』)では「シルバースクリーン」という米国雑誌を翻訳していた。
    • ピンク映画は若いプロデューサーが市場を占有し始め、15日間の撮影日数が10日、7日、3日半と短くなってきた。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話』[注 1]
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号『鬼六談義 秋の風』
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)3月号『鬼六談義 一皮むけば』
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)6月号『鬼六談義 或る女優の話』[注 1]
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)7月号『鬼六談義 蓮華草の話』[注 1]
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)9月号『鬼六談義 奇妙な性の話』
  • 奇譚クラブ1970年(昭和45年)3月号『鬼六談義 人妻の話』[注 1]
    • 「今年(おそらく1969年)は・・・ピンクプロを作ってみたものの」とある。
    • 「テレビにまで出てしまった」とある。「談志に応援を頼んで出演」とある。
    • 一緒に出演した昭和女子大学の白石先生。

SMキング連載

  • SMキング1973年(昭和48年)2月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)3月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)4月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)5月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)6月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)8月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)9月号『鬼六談義 悦虐趣味のたたり』
  • SMキング1973年(昭和48年)10月号『鬼六談義』
  • SMキング1973年(昭和48年)11月号『鬼六談義』
  • SMキング1974年(昭和4年9)1月号『鬼六談義』

引用文献

注釈