「道頓堀劇場」の版間の差分

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==概要==
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東京都渋谷区にありながら、なぜか「道頓堀」劇場と名づけられた[[ストリップ]]劇場。[[長田英吉]]が1978年から[[SMショーの歴史|SMショー]]をおこなっていた。1950年頃には大阪の道頓堀にも[[ストリップ]]劇場「[[道頓堀劇場]]」(=[[道劇ミュージック]])があった模様。
==別名==
[[渋谷道頓堀劇場]]、渋谷道劇
 
==所在地==
渋谷区道玄坂 2-28-7
==歴史==
1970年(昭和45年)1月開場。
 
1978年(昭和53年)、[[長田英吉]]の[[オサダ・ゼミナール]]が[[道頓堀劇場]]に出演。制作部長だった志賀直樹が説得。
 
1980年(昭和55年)10月、[[道頓堀劇場]]での[[オサダ・ゼミナール]]の公演を[[川上譲治]]が観に行っている<ref name="saraba">[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)</ref>。
 
1994年(平成6年)11月、[[長田英吉]]が葵瑠璃とショー<ref name="kazumi">長田一美web</ref>。
 
1995年(平成7年)に一度閉館
 
1996年(平成8年)11月27日〜12月3日、[[道頓堀劇場]]が[[シアターD]]と名前を変えて、「SMテクノ・オブセッション『ジェームス・ボンデージは二度死ぬ』」。企画:[[高須基仁]]、[[矢野浩祐]]、原作:[[森園みるく]]、演出:[[観音崎呉夫]]、出演:[[明智伝鬼]]
 
2001年(平成13年)に再オープン。
 
2002年(平成14年)5月2日、当時の社長だった矢野氏が[[ロフトプラスワン]]での[[高須基仁]]プロデュース復活「変態性欲ナイトVol.27」に出演。【Guest】ゴージャス松野、倉木パパ、[[道頓堀劇場]]矢野社長、須藤甚一郎、[[七海玲央]]、さかもと未明
 
2005年(平成17年)6月21日、[[結奈美子]]がデビュー。
 
2014年(平成26年)4月21日-30日、[[道頓堀劇場]]にて[[浅葱アゲハ]]10周年記念公演。
 
==エピソード==
*コント赤信号、ゆーとぴあ、ダチョウ倶楽部などが幕間のコントをおこなっていた。
 
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
== お役たちweb==
*[http://www.dotonbori.co.jp/ 道頓堀劇場]
 
==つながり==
 
 
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[[Category:SM聖地]]
[[Category:1970年代のSM聖地]]
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[[Category:ストリップ]]
[[Category:ストリップ]]
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[[Category:1950年代のストリップ]]
[[Category:近畿]]
[[Category:総索引]]
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2020年5月6日 (水) 08:02時点における最新版

道頓堀劇場

戦後まもなく大阪の道頓堀に開場した劇場。ストリップ劇場、映画館など、業種を変えながら続く。1970年(昭和45年)に東京渋谷に開場した渋谷道頓堀劇場とは別物。

道頓堀劇場(大阪)

なまえ

概要

別名

道頓堀劇場 道劇 道劇ミュージックホール 道劇ミュージック


所在地

大阪市 中央区 道頓堀

歴史

1947年(昭和22年)1月、バラック建てのボードビル劇場として開場。「ほどなくストリップ劇場に変わったと三田純市はいっている。」[1][2]

1948年(昭和23年)10月11日、道頓堀劇場L・Lショウ[3]

「L・L」とはLIBERALの頭と尻尾を採った略語。りべらるは裸ショウの意味[3]
銀の女神 ルミー小野、元宝塚スター リラ江川。企画・構成:K・モリヤス
タップの王者、泉和助の軽演劇「鞍馬天狗」
特別出演:佐原マリ

1949年(昭和24年)2月1日-10日、道頓堀劇場名物『マーキーシヨウ[4]

(1)漫才、(2)時代劇:酒井米子一座、(3)漫才、(4)マーキーショウの構成。
マーキーシヨウもメンバーは牧英次、タナー江南、牧知英子、春日ヒトミ、丘ナオミ、暁美ケイ子、小波詩氏、エリー柳、大阪凡兒、浪花京子、三井敏生。

1954年(昭和29年)11月14日、道劇ミュージックホールにて。ヒロセ元美、ラリー三保野、秋千恵⼦が出演[5]

1955年(昭和30年)、道劇ミュージックホール閉館[6]

1956年(昭和31年)3月11日、1年ぷりに道頓堀劇場が公演。⻘本美代⼦、⾼⽊マリ、結城かはるなど[5]

1961年(昭和36年)9月1日、道劇ミュージックホールで軽演劇「釜が崎の点と線」全14景とストリップ・ショウ「新婚の⽣態」「ストリップ・アラカルト」[5]

1963年(昭和38年)8月2日、道劇ミュージックホールで「新装開場第2弾!タムレタムレヌード」に特別出演:青木順子[7]

1964年(昭和39年)2月16日、道劇ミュージックホールにて『肉体の門』公演。制作:深井俊彦。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:深井俊彦、振付:村田凡二郎、出演:ヒロミ原右ノリ子光陽子[2]

1964年(昭和39年)10月31日、新装開店[2]

1963年(昭和38年)9月15日、道劇ミュージックホールで「とんぼりヌーフォーリーズ ショッキングピンクヌード」に特別出演:青木順子。構成演出:深井俊彦、振付:杉太郎[7]

エピソード

  • 開場年が1950年(昭和25年)[8]、1952年(昭和27年)[6]、1954年(昭和29年)11月14日[5]などの情報があるが、1947年(昭和22年)1月にバラック建てで誕生し、その後すぐにストリップ公演をおこなっているようだ[9]
  • 800席[6]
  • 業種をボードビル劇場、ストリップ劇場、映画館、アルサロとめまぐるしく変えた[2]
  • 三田純市は道頓堀の芝居茶屋の息子[1]

引用文献

注釈

お役たちweb

つながり

ストリップ ストリップ劇場