「若松孝二」の版間の差分

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1963年(昭和38年)、『甘い罠』([[東京企画]])で監督デビュー。
1963年(昭和38年)、『甘い罠』([[東京企画]])で監督デビュー。


1965年(昭和40年)、若松プロダクションを設立設立。その第一作『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭に出品<ref group="注">西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。</ref>。
1965年(昭和40年)、若松プロダクションを設立設立。『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭に出品<ref group="注">西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。</ref>。


1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。
1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。

2010年5月8日 (土) 09:40時点における版

わかまつ こうじ、1936年(昭和11年)4月1日-

活動内容

別名

Koji Wakamatsu

略歴

1936年(昭和11年)4月1日、宮城県遠田郡涌谷町に生まれる[1]

1940年代、農業高校1年で中退、家出し上京[2]

1957年(昭和32年)、新宿で安田組[注 1]のヤクザの下働きなどをし、逮捕され半年間勾留[2]

1960年前後、ロケの弁当運びから始め、テレビの「鉄人28号」「矢車剣之助」「月光仮面」などの助手[2]

1963年(昭和38年)、『甘い罠』(東京企画)で監督デビュー。

1965年(昭和40年)、若松プロダクションを設立設立。『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭に出品[注 2]

1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。

2007年(平成19年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞。2008年の第58回ベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。毎日映画コンクールで監督賞、日本映画評論家大賞で作品賞を受賞。

2010年(平成22年)、ベルリン国際映画祭出品の『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞。

エピソード

代表作

書籍

引用文献

注釈

  1. 駅西口一帯を牛耳っていたテキヤ。安田朝信組長は新宿議会議員。
  2. 西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。

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つながり

山邊信夫