芦川羊子

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1947年(昭和22年)2月23日 -

1967年、石井満隆に誘われて土方巽のアスベスト館に入る

1968年、澁澤龍彦責任編集の『血と薔薇』(第2号)で土井典製作の「鍵のかかる女」の貞操帯を着用して立木義浩撮影で表紙

1970年(昭和45年)4月12日[1]東声会町井久之が経営する銀座の「レッドミナー」にて『家畜人ヤプー』の出版記念パーティ。演出は萩原朔美芦川羊子らが出演[2]

1974年に小林嵯峨とともに白桃房(暗黒舞踏集団)を結成