「沼正三」の版間の差分

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*[[内藤三津子]]は「代理人の天野と沼の文章を比べると、その文章、語学力、教養などからして、二人がまったく別人であることは歴然」と判断<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*[[内藤三津子]]は「代理人の天野と沼の文章を比べると、その文章、語学力、教養などからして、二人がまったく別人であることは歴然」と判断<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*1981年(昭和56年)、[[森下高茂]]が「諸君」(文藝春秋社)で[[沼正三]]が東京高裁判事[[倉田卓次]]氏だとする説を主張。これを受けて[[天野哲夫]]が「自分は代理人ではなく、本人であると表明」し、一部に[[沼正三]]=[[天野哲夫]]説が定着<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*1981年(昭和56年)、[[森下高茂]]が「諸君」(文藝春秋社)で[[沼正三]]が東京高裁判事[[倉田卓次]]氏だとする説を主張。これを受けて[[天野哲夫]]が「自分は代理人ではなく、本人であると表明」し、一部に[[沼正三]]=[[天野哲夫]]説が定着<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*[[内藤三津子]]の義兄の[[遠藤麟一朗]]の遺稿集に[[倉田卓次]]が寄稿。
*[[内藤三津子]]の義兄の[[遠藤麟一朗]]の遺稿集に[[倉田卓次]]が寄稿。[[家畜人ヤプー]]の主人公の名前も「エンリン」<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*後半には[[天野哲夫]]かあるいは他の作家が何らかの形で関与していた可能性がある<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*後半には[[天野哲夫]]かあるいは他の作家が何らかの形で関与していた可能性がある<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*[[濡木痴夢男]]、[[小田光雄]]などは[[奇譚クラブ]]投稿時の[[沼正三]]=[[倉田卓次]]としている。[[家畜人ヤプー]]の主人公の名前も「エンリン」<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*[[濡木痴夢男]]、[[小田光雄]]などは[[奇譚クラブ]]投稿時の[[沼正三]]=[[倉田卓次]]としている。
*1970年(昭和45年)、[[風俗奇譚]]7月臨時増刊号に嵐山光三郎が『'''小説・[[沼正三]]'''』を書いている。
*1970年(昭和45年)、[[風俗奇譚]]7月臨時増刊号に[[嵐山光三郎]]が『'''小説・[[沼正三]]'''』を書いている。
 


==エピソード==
==エピソード==

2023年12月11日 (月) 11:21時点における版

ぬま しょうぞう、19xx年(昭和xx年)

概要

文筆家。奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号からマゾの立場で執筆をしている。1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載された『家畜人ヤプー』は三島由紀夫を始め、渋沢龍彦、寺山修司らの評価を受け、奇譚クラブにユニークな評価を与える一要因となった。

歴史

1922年(大正11年)1月20日、倉田卓次が東京に生まれる。

1926年(昭和元年)3月19日、天野哲夫が福岡市に生まれる。

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ4月号, p23に『ネクタール 神の酒を手に入れる方法』。

1956年(昭和31年)、奇譚クラブ1956年(昭和31年)12月号 p124から「家畜人ヤプー」連載開始。

1959年(昭和34年)、奇譚クラブ1959年(昭和34年)6月号、p80。「家畜人ヤプー」第21回第28章で中断。

1959年(昭和34年)、奇譚クラブ1959年(昭和34年)9月号、p116に「家畜人ヤプー」「中絶お詫びのご挨拶」。

1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)11月号に森下小太郎三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事』。

1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)12月号に森下小太郎倉田卓次判事への公開質問状』。

1988年(昭和63年)2月、S&Mスナイパー2月号から沼正三続・家畜人ヤプー』の連載開始。

2008年(平成20年)11月30日、天野哲夫永眠。

2011年(平成23年)1月30日、倉田卓次永眠。

代表作

沼正三の正体

エピソード

参考資料

注釈

  1. 1974年(昭和49年)にニトリア書房から、1998年(平成10年)に太田出版から再版。

お役たちweb

鈴木真吾『沼正三と天野哲夫 ある覆面作家の素顔をめぐって 』(和光大学現代人間学部紀要 第3号(2010年3月発行))