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1980年(昭和55年)頃から1985年(昭和60年)頃<ref name="shishin"></ref>、[[ラー企画]]に所属。
1980年(昭和55年)頃から1985年(昭和60年)頃<ref name="shishin"></ref>、[[ラー企画]]に所属。


1982年(昭和57年)頃、[[SMビデオ|SAMM]]の『'''森ミキの私はSMギャル'''』をSMクラブ[[SAMM]]などで撮影。この頃、[[SAMM]]で週一度ショーをやっていた<ref name="shishin"></ref>[[長田英吉]]や[[ラー企画]]のタレントと。その後、[[SAMM]]のショー係兼ホステスとなる。<ref group="注"></ref>
1982年(昭和57年)頃、[[SMビデオ|SAMM]]の『'''森ミキの私はSMギャル'''』をSMクラブ[[SAMM]]などで撮影。<ref name="shishin"></ref><ref group="注">この頃、[[長田英吉]]や[[ラー企画]]のタレントと[[SAMM]]で週一度ショーをやっていた。その後、[[SAMM]]のショー係兼ホステスとなる。</ref>。


1985年(昭和60年)頃<ref name="shishin"></ref>、[[中野クィーン]]に参加。
1985年(昭和60年)頃<ref name="shishin"></ref>、[[中野クィーン]]に参加。
==エピソード==
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2011年1月13日 (木) 21:45時点における版

もり みき

概略

1980年代にラー企画に所属しながら長田英吉のSMショーのパートナーとして活動し、その後1980年代後半から中野クィーンの女王様としても活動した。根暗童子ともショーをしていている。パフォーマーとしての活動と平行して文筆家としても作品を発表している。

別名

english、森美樹、森美紀[1]、森ミキ

略歴

1980年(昭和55年)頃から1985年(昭和60年)頃[1]ラー企画に所属。

1982年(昭和57年)頃、SAMMの『森ミキの私はSMギャル』をSMクラブSAMMなどで撮影。[1][注 1]

1985年(昭和60年)頃[1]中野クィーンに参加。

エピソード

代表作

雑誌

ビデオ

  • 森ミキの私はSMギャル』(SAMM, 1982頃)(監督:土屋隆彦、出演:森美貴 泉エマ)
  • 花嫁人形』(SAMM, 1984)(SP-15)
  • 山本晋也のほとんどビョーキシリーズ 晋ちゃんのどこまで縛るの? 痴態・変態・おお痛い!』(ビックアップル, 1983)(監督:山本晋也、出演:森ミキ 筒美愛 伊達三郎)

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 森美貴, 私信 to U

注釈

  1. この頃、長田英吉ラー企画のタレントとSAMMで週一度ショーをやっていた。その後、SAMMのショー係兼ホステスとなる。

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つながり

長田英吉 根暗童子 川上譲治 中野クィーン ラー企画