「梨花悠紀子」の版間の差分

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==略歴==
==略歴==
1941年(昭和16年)頃<ref name="kansyo">[[辻村隆]]『観賞用女性』1960年(昭和35年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196012/196012_042.html p71]</ref><ref group="注">1960年(昭和35年)当時19才との記載から逆算。</ref>、誕生。
1941年(昭和16年)頃<ref name="kansyo">[[辻村隆]]『観賞用女性』1960年(昭和35年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196012/196012_042.html p71]</ref><ref group="注">1960年(昭和35年)当時19才との記載から逆算。</ref>、誕生。
1960年(昭和35年)、[[奇譚クラブ]]12月号に初登場。


1964年(昭和39年)頃、東京のカネボウ<ref name="kayama">[[賀山茂]]『縄の魔術師「[[辻村隆]]氏」との交遊記 その2 古都より愛をこめて』[[復刊奇譚クラブ]]1982年(昭和57年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1980/198204/01/020.html p20]</ref>のチャームガールとなり引退<ref>きくかおる『それは女体への愧らい』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197306/02/197306_118.html p236]</ref>。
1964年(昭和39年)頃、東京のカネボウ<ref name="kayama">[[賀山茂]]『縄の魔術師「[[辻村隆]]氏」との交遊記 その2 古都より愛をこめて』[[復刊奇譚クラブ]]1982年(昭和57年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1980/198204/01/020.html p20]</ref>のチャームガールとなり引退<ref>きくかおる『それは女体への愧らい』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197306/02/197306_118.html p236]</ref>。

2014年11月12日 (水) 07:56時点における版

梨花悠紀子奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号より

りか ゆきこ 1941年(昭和16年)頃? - 。奇譚クラブ 天星社時代のモデル。辻村隆塚本鉄三のお気に入り。1964年頃にカネボウのチャームガールとなり引退するが、後に辻村隆賀山茂らと交流。

概要

奇譚クラブ 天星社(白表紙)時代のモデル。辻村隆塚本鉄三のお気に入りのモデル。1960年(昭和35年)12月号から1964年(昭和39年)8月号ぐらいまで登場した。

略歴

1941年(昭和16年)頃[1][注 1]、誕生。

1960年(昭和35年)、奇譚クラブ12月号に初登場。

1964年(昭和39年)頃、東京のカネボウ[2]のチャームガールとなり引退[3]

1965年(昭和40年)、結婚[4]

1967年(昭和42年)頃、結婚、2年後の、子供が一人いる頃に辻村隆賀山茂に紹介し3人でプレイしている[2]

エピソード

  • 辻村隆の中学同級生の妹。
  • 辻村隆が1967年(昭和42年)の山本一章との対談で、「一番印象に残るモデル」「私がすっかり飼育して、Mにしてしまいました」と述べている[5]

関連作品

引用文献

  1. 辻村隆『観賞用女性』1960年(昭和35年)12月号, p71
  2. 2.0 2.1 賀山茂『縄の魔術師「辻村隆氏」との交遊記 その2 古都より愛をこめて』復刊奇譚クラブ1982年(昭和57年)4月号, p20
  3. きくかおる『それは女体への愧らい』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号, p236
  4. 梨花悠紀子『近況に寄せて』奇譚クラブ1965年(昭和40年)6月号, p16
  5. 辻村隆辻村隆山本一章対談 緊縛モデル秘奥談義』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号, p26

注釈

  1. 1960年(昭和35年)当時19才との記載から逆算。

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つながり

奇譚クラブのモデル達