「桜田伝次郎」の版間の差分

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1974年(昭和49年)、黒川真由美と劇団世界劇場([[GSG企画|GSG]])旗揚げ<ref group="注">池袋のシアターグリーン、浅草の木馬座、目黒のアスベスト館、京大の西武講堂、茗荷谷の林泉寺などで公演。</ref>。
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2010年7月28日 (水) 22:02時点における版

さくらだ でんじろう、1952年(昭和27年)-

活動内容

緊縛師。

別名

Denjiro Sakurada、小島邦彦

略歴

1960年代、高校生の時、唐十郎の『吸血姫』を観て衝撃[1]

1970年代、日本大学文理学部国文科卒業。在学中に山崎哲の「つんぼさじき」に参加し役者として出演[1]

1970年代、「つんぼさじき」から独立して「花月座」を結成。処女作が『極付国定忠治』[1]

1974年(昭和49年)、黒川真由美と劇団世界劇場(GSG)旗揚げ[注 1]

1976年(昭和51年)、玉井敬友の「シアタースキャンダル」の舞台を手伝い始める[2][注 2]

1970年代、西荻窪、大塚の『SMボンバー』、中野の『東京SM倶楽部』でGSG企画[注 3]のSMショー。賀山茂長田英吉明智伝鬼玉井敬友らと交流。

1979年(昭和54年)、紫テントで全国興行。

1983年(昭和58年)、新宿南口にシアターPooを開く。

1985年(昭和60年)、SMショーから引退。

1980年代、AV監督として活躍。

2003年(平成15年)、『しあわせな日々』(サミュエル・ベケット原作)で利賀演出家コンクール2003「優秀演出家賞」受賞。

2009年(平成21年)12月6日、シアターPooにて25年ぶりにSMショー[注 4]

2010年(平成22年)、「昭和SMの復活」をスローガンに、シアターPooDX歌舞伎町などで精力的にショーをおこなう。

エピソード

  • 明智伝鬼と知己。
  • 紫テントの公演には、1回1千万円ぐらいかかった。資金の捻出のために、写真撮影会の企画(=SMショー)などをおこなった。
  • 六本木の自動車工場の2階の玉井敬友のシアタースキャンダル事務所で長田英吉が会員の集まりを開いた後、玉井氏もSMの会合を持つようになる。ここで桜田伝次郎は始めて玉井敬友と出会う。

代表作

AV

  • 『美少女みだら責め』(2チャンネル、1983)
  • 『SM本番解禁・桜田伝次郎外伝/悦逆のカーニバル』(ビップ, 1986)
  • 『魔縄伝(明智伝鬼/桜田伝次郎)』(ビースバルプロモーション、1994)
  • 1994年(平成6年)頃からシネマジックで監督作品多数。

雑誌

参考資料

  1. 1.0 1.1 1.2 小島邦彦『外部の視線と出会うために』(『演劇人』14号、p74-p78, 2003)
  2. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「SMmania」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません

注釈

  1. 池袋のシアターグリーン、浅草の木馬座、目黒のアスベスト館、京大の西武講堂、茗荷谷の林泉寺などで公演。
  2. それまで面識はなかった。
  3. 杉並区西荻南2-19-10
  4. 「女王様の毒艶会」の特別出演として。

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