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==代表作== | ==代表作== | ||
[ | *『乾いた舗道』(日本映画, 1965.01)(監督:新藤孝衛、出演:[[香取環]] [[新高恵子]]) | ||
*『雪の涯て』(芸術映画協会, 1965.05)(監督:新藤孝衛、出演:[[新高恵子]]) | |||
*『肉体の報酬』(葵映画, 1965.09)(監督:[[西原儀一]]、出演:[[新高恵子]] 白川道子 [[野上正義]] 香月マヤ 細谷俊彰 鶴岡八郎 九重京司) | |||
*『歪んだ関係』(国映, 1965.09)(監督:[[若松孝二]]、) | |||
1965.09._ 腐肉の喘ぎ 青年芸術映画協会 ... 日野恵子 | |||
1965.09._ 四つの乳房 北星映画 | |||
1965.10._ 悪の卵 シバタ・プロ ... 恵子 | |||
1965.10._ 蜜のおとし穴 日本シネマ ... 倉田京子 | |||
1965.11._ 背徳 プロ鷹 | |||
1965.11._ 第三の情事 葵映画 | |||
1965.12._ 情事に賭けろ 葵映画 | |||
1965.12._ あばかれた欲情 東和企画 | |||
1966.02._ 女・三百六十五夜 シネ・ユニモンド | |||
1966.02._ もだえの夜 日本シネマ | |||
1966.04._ くずれる女 葵映画 | |||
1966.04._ 色ざんまい 日現プロ | |||
1966.05._ のたうち 葵映画 | |||
1966.06._ 肉体の会話 シネアトリエ ... 川原咲子 | |||
1966.06._ 新・妾 青年群像 | |||
1966.06._ 女高生地帯 武田プロ ... 三枝美津江 | |||
1966.07._ 女高生のふるえ 宮西プロ | |||
1966.07._ 新拷問刑罰史 拷問 小森プロ | |||
1966.07._ 絶品の女 扇映画プロ | |||
1966.08._ 蛇淫の肌 ヤマベプロ | |||
1966.08._ 愛欲の果て 葵映画 ... 光子(金竜閣女将) | |||
1966.08._ あなたの留守に? 大蔵映画 | |||
1966.08._ 色なさけ 明光セレクト | |||
1966.09._ 乳房の週末 ヤマベプロ ... 洋子 | |||
1966.09._ 炎の女 葵映画 | |||
1966.10._ 肌に泣く女 ヤマベプロ | |||
1966.10._ 柔肌の掟 ヤマベプロ | |||
1966.10._ 禁じられた乳房 大蔵映画 | |||
1966.11._ 肉色 ヤマベ・プロ | |||
1966.11._ 処女?戦慄 日本歌演 | |||
1967.01.07 愛情開眼 ヤマベプロ | |||
1967.01.31 縄と乳房 ヤマベプロ | |||
1971.04.24 書を捨てよ町へ出よう 人力飛行機舎=ATG ... 娼婦みどり | |||
1971._._ トマトケッチャップ皇帝 | |||
1974.12.28 田園に死す 人力飛行機プロ=ATG ... 草衣 | |||
1974._._ 蝶服記 | |||
1975.06._ 迷宮譚 人力飛行機舎 | |||
1975._._ 審判 映画実験室人力飛行機舎 | |||
1975._._ 疱瘡譚 | |||
1977.06.14 マルドロールの歌 映画実験室人力飛行機舎 | |||
1977.06.14 二頭女-映画の影 映画実験室人力飛行機舎 | |||
1977.12.11 書見機 映画実験室人力飛行機舎 | |||
1979.12.20 FACE-風の日の紙のように私の上に貼りついてしまった | |||
1980._._ 支那人形 アルゴスフィルム | |||
1983.11.12 草迷宮 人力飛行機舎 | |||
1984.09.08 さらば箱舟 劇団ひまわり=人力飛行機舎=ATG ... ツバナ | |||
1996.01.27 身毒丸 演劇実験室天井座敷 | |||
*『縄と乳房』<ref group="注">同名の映画が1983年[[にっかつ]]から[[小沼勝]]監督で製作されている。</ref>1967年(昭和42年)1月。企画:[[山邊信夫|岸信太郎]]、寿御代子、製作:[[山邊信夫]]、脚本:[[団鬼六]]<ref group="注">シナリオが[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)2月号に掲載。[http://www.jmdb.ne.jp/1967/cq000310.htm 日本映画データベース]では原作が「[[花と蛇]]」となっている。</ref>、監督:[[山邊信夫|岸信太郎]]<ref group="注">[http://www.jmdb.ne.jp/1967/cq000310.htm 日本映画データベース]では監督が[[経堂一郎]]と[[山邊信夫|岸信太郎]]となっている。</ref>、出演<ref group="注">[http://www.jmdb.ne.jp/1967/cq000310.htm 日本映画データベース]では「[[新高恵子]] 桝田邦子 山吹ゆかり 伊海田弘 長岡丈二 北幸二 斎藤道代」となっている。</ref>:枡田くに子、斎藤道子、山吹ゆかり、[[新高恵子]]、伊豆田弘、[[種村正]]、北孝二。 | *『縄と乳房』<ref group="注">同名の映画が1983年[[にっかつ]]から[[小沼勝]]監督で製作されている。</ref>1967年(昭和42年)1月。企画:[[山邊信夫|岸信太郎]]、寿御代子、製作:[[山邊信夫]]、脚本:[[団鬼六]]<ref group="注">シナリオが[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)2月号に掲載。[http://www.jmdb.ne.jp/1967/cq000310.htm 日本映画データベース]では原作が「[[花と蛇]]」となっている。</ref>、監督:[[山邊信夫|岸信太郎]]<ref group="注">[http://www.jmdb.ne.jp/1967/cq000310.htm 日本映画データベース]では監督が[[経堂一郎]]と[[山邊信夫|岸信太郎]]となっている。</ref>、出演<ref group="注">[http://www.jmdb.ne.jp/1967/cq000310.htm 日本映画データベース]では「[[新高恵子]] 桝田邦子 山吹ゆかり 伊海田弘 長岡丈二 北幸二 斎藤道代」となっている。</ref>:枡田くに子、斎藤道子、山吹ゆかり、[[新高恵子]]、伊豆田弘、[[種村正]]、北孝二。 |
2010年10月17日 (日) 20:48時点における版
にいたか けいこ、1934年(昭和9年)4月18日[1](1939年(昭和14年)4月11日という記述も過去にあった[2])
活動内容
別名
Keiko Niitaka、新高けい子、藤田恵子、工藤琳子(本名)
略歴
1934年(昭和9年)4月18日、小学校教員の両親のもと、青森に生まれる[1]。
1953年(昭和28年)、上京して東京文化短期大学に入学するが1年弱で退学[1]。
1954年(昭和29年)頃、新宿にある「ボア」という美人喫茶で働く。やがて新宿駅南口のアルサロ「ヱびす」に転職。さらに叔母が横浜桜木町に経営していたスナックに移る[1]。
1956年(昭和31年)、文化放送主催の「ミスQR[注 1]」に応募して選ばれる。発声法・演技法などを学ぶ[1]。
1957年(昭和32年)頃、文化放送の推薦で東芝レコードの準専属歌手となる。芸名は藤田恵子。地方回りの仕事。当時全盛のキャバレーでの歌い、やがて銀座「金馬車」、横浜「ナイト・アンド・デイ」の専属歌手[1]。
1960年(昭和35年)頃、西原儀一の西原企画で歌手(藤田恵子)として活動[3]。
1961年(昭和36年)頃、CMタレントと共に、映画のちょい役にも出始める[1]。
1965年(昭和40年)1月、新藤孝衛監督『乾いた舗道』(日本映画)(主演:香取環)で始めて台詞のある役。こと時始めて新高恵子を名のる。[1]。
1965年(昭和40年)5月、新藤孝衛監督『雪の涯て』(芸術映画協会)で主演。
1965年(昭和40年)9月、『肉体の報酬』(葵映画)を「隠密剣士」のスタッフで撮影[3]。
1966年(昭和41年)、『愛欲の果て』で2役に挑戦[3]。
1966年(昭和41年)8月、高木丈夫監督『蛇淫の肌』 (ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)8月、西原儀一監督『愛欲の果て』(葵映画)。
1966年(昭和41年)9月、飛田良監督『乳房の週末』(ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)10月、松原次郎監督『肌に泣く女』(ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)10月、松原次郎監督『柔肌の掟』(ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)11月、飛田良監督『肉色』(ヤマベプロ、原作:花巻京太郎)。
1967年(昭和42年)1月、経堂三郎監督『愛情開眼』(ヤマベプロ)。
1967年(昭和42年)1月、経堂三郎・岸信太郎監督『縄と乳房』(ヤマベプロ、脚本:団鬼六、原作:『花と蛇』)。
1967年(昭和42年)、天井桟敷[注 2]公演『大山デブ子の犯罪』『花札伝綺』に出演。
1968年(昭和43年)、天井桟敷公演『新宿版千一夜物語』『伯爵令嬢小鷹狩鞠子の七つの大罪』に出演。
1969年(昭和44年)、天井桟敷公演『時代はサーカスの象にのって』『犬神』に出演。
1970年(昭和45年)、天井桟敷公演『イエス』『ブラブラ男爵』『市街劇・人力飛行機ソロモン』に出演。
1971年(昭和46年)、天井桟敷公演『邪宗門』に出演。
1971年(昭和46年)4月24日、寺山修司監督『書を捨てよ町へ出よう』 人力飛行機舎=ATG
1972年(昭和47年)、天井桟敷公演『走れメロス』に出演
エピソード
- 団鬼六のお気に入りのピンク女優の一人。奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号『鬼六談義 狐の話』に天井桟敷の末広亭公演を見に行ったことが書いてある。「大山デブ子の犯罪」新宿末広亭(1967年6月)のことか?
- 1966年(昭和41年)頃、九條今日子が寺山修司に新高を紹介し、寺山が直接西原儀一にゆずってくれと頼みに来た[3]。
代表作
- 『乾いた舗道』(日本映画, 1965.01)(監督:新藤孝衛、出演:香取環 新高恵子)
- 『雪の涯て』(芸術映画協会, 1965.05)(監督:新藤孝衛、出演:新高恵子)
- 『肉体の報酬』(葵映画, 1965.09)(監督:西原儀一、出演:新高恵子 白川道子 野上正義 香月マヤ 細谷俊彰 鶴岡八郎 九重京司)
- 『歪んだ関係』(国映, 1965.09)(監督:若松孝二、)
1965.09._ 腐肉の喘ぎ 青年芸術映画協会 ... 日野恵子 1965.09._ 四つの乳房 北星映画 1965.10._ 悪の卵 シバタ・プロ ... 恵子 1965.10._ 蜜のおとし穴 日本シネマ ... 倉田京子 1965.11._ 背徳 プロ鷹 1965.11._ 第三の情事 葵映画 1965.12._ 情事に賭けろ 葵映画 1965.12._ あばかれた欲情 東和企画 1966.02._ 女・三百六十五夜 シネ・ユニモンド 1966.02._ もだえの夜 日本シネマ 1966.04._ くずれる女 葵映画 1966.04._ 色ざんまい 日現プロ 1966.05._ のたうち 葵映画 1966.06._ 肉体の会話 シネアトリエ ... 川原咲子 1966.06._ 新・妾 青年群像 1966.06._ 女高生地帯 武田プロ ... 三枝美津江 1966.07._ 女高生のふるえ 宮西プロ 1966.07._ 新拷問刑罰史 拷問 小森プロ 1966.07._ 絶品の女 扇映画プロ 1966.08._ 蛇淫の肌 ヤマベプロ 1966.08._ 愛欲の果て 葵映画 ... 光子(金竜閣女将) 1966.08._ あなたの留守に? 大蔵映画 1966.08._ 色なさけ 明光セレクト 1966.09._ 乳房の週末 ヤマベプロ ... 洋子 1966.09._ 炎の女 葵映画 1966.10._ 肌に泣く女 ヤマベプロ 1966.10._ 柔肌の掟 ヤマベプロ 1966.10._ 禁じられた乳房 大蔵映画 1966.11._ 肉色 ヤマベ・プロ 1966.11._ 処女?戦慄 日本歌演 1967.01.07 愛情開眼 ヤマベプロ 1967.01.31 縄と乳房 ヤマベプロ 1971.04.24 書を捨てよ町へ出よう 人力飛行機舎=ATG ... 娼婦みどり 1971._._ トマトケッチャップ皇帝 1974.12.28 田園に死す 人力飛行機プロ=ATG ... 草衣 1974._._ 蝶服記 1975.06._ 迷宮譚 人力飛行機舎 1975._._ 審判 映画実験室人力飛行機舎 1975._._ 疱瘡譚 1977.06.14 マルドロールの歌 映画実験室人力飛行機舎 1977.06.14 二頭女-映画の影 映画実験室人力飛行機舎 1977.12.11 書見機 映画実験室人力飛行機舎 1979.12.20 FACE-風の日の紙のように私の上に貼りついてしまった 1980._._ 支那人形 アルゴスフィルム 1983.11.12 草迷宮 人力飛行機舎 1984.09.08 さらば箱舟 劇団ひまわり=人力飛行機舎=ATG ... ツバナ 1996.01.27 身毒丸 演劇実験室天井座敷
- 『縄と乳房』[注 3]1967年(昭和42年)1月。企画:岸信太郎、寿御代子、製作:山邊信夫、脚本:団鬼六[注 4]、監督:岸信太郎[注 5]、出演[注 6]:枡田くに子、斎藤道子、山吹ゆかり、新高恵子、伊豆田弘、種村正、北孝二。