志村曜子

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志村曜子 奇譚クラブ1968年(昭和43年)2月号より

しむら ようこ、19??年(昭和??年)-。1960年代中頃に活動していた劇団『赤と黒』の女優。ピンク映画鞭と肌』(67)などにも出演。「切腹」作品が奇譚クラブでしばしば話題となっていた。

概要

1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)頃までカジバシ座を拠点に活動していた劇団『赤と黒』の女優。1968年(昭和43年)の出演作『僕と恐怖の舞踏会ー女の切腹』は奇譚クラブ風俗奇譚に取り上げられている。劇団『赤と黒』からヤマベプロの作品に何作か出演している。

別名

略歴

ミス盛岡に選ばれる[1]

1965年(昭和40年)10月1日−10日、浜松のストリップ劇場「金馬車ミュージック」で戸塚純作演出の「めす猫の宿」全四景を上演。出演は麻木正美綾川しのぶ奈加公子、紫理子、丘百合子、志村曜子[2]

1965年(昭和40年)11月1日−10日、平塚劇場にて日本セントラル・プロ(戸塚純松野京一)によるピンク実演。出演はA班の麻木正美綾川しのぶ奈加公子紫理子丘百合子志村曜子とB班の重光秀子林美樹糸井香子亜利絢子西岡圭子緋色凉子[3]

1966年(昭和41年)3月25日、池袋のシネマ・リリオで3月25日より上演された、劇団『赤と黒』の『悶えるうめき』公演の様子が『成人映画』がNo. 8で紹介。戸塚純・作、松野京一・演出で出演は志村曜子二ツ木綾子藤田莉花林美樹糸井香子堺新太郎島崎始山田昭三木田英三。「きょねんの十月、浜松のストリップ劇場で、別に劇団の名前もつけずに、小人のマーチャンを座長にビックスターが集まって「めす猫の宿」(戸塚純作・演出)を公演したところ大ヒット。その評判をきいてあちこの興行主から口がかかって大阪、姫路、神戸、平塚んど九都市で巡演、いずれもヒットを放った。そこで本格的な劇団にしようと劇団『赤と黒』と名前をつけ、晴れの東京進出となった」とある。

1967年(昭和42年)、芸術祭参加を目指した『僕と恐怖の舞踏会ー女の切腹』に出演[1][注 1]

エピソード

代表作

映画

  • 情事の階段』(ヤマベプロ, 1967.03)(配給:関東映配、監督:松原次郎、脚本:花巻京太郎、撮影:浅野友次、出演:志村曜子 林美樹 辰巳典子 長岡丈二 松田仙三 山本昌平 山吹ゆかり 左京未知子)
  • 夫婦生態白書より 夜泣く女』(青年芸術映協, 1967.4.22)(配給:関東ムービー、製作:原田博幸、企画:新船澄孝、監督:新藤孝衛、出演:桝田邦子 志村曜子 神原明彦 北村潤 久保新二)
  • 不毛の愛欲』(青年群像, 1967.4.22)(配給:関東映配、企画:津島友孝、製作:小諸次郎、監督:山下治、脚本:小諸次郎、撮影:斉藤剛、出演:観世亜紀 一星けみ 志村曜子 鶴岡八郎 野上正義)
  • 鞭と肌』(関東映配, 1967.06.11)(企画:寿御代子、監督:岸信太郎、脚本:団鬼六、撮影:船橋登、照明:加藤広明、原作:『花と蛇[注 2]、、出演:山本昌平、長岡丈二、江海田弘、里見孝二、大江健次、松田仙三、美川恵子、林美樹志村曜子、三田マサ、山吹ゆかり)

芝居

引用文献

  1. 1.0 1.1 南方純『劇団「赤と黒」の女の切腹奇譚クラブ1968年(昭和43年)2月号, p16
  2. 私たちも”春川ますみ”になりたい!』週刊漫画サンデー 1965年(昭和40年)11月3日号, p50-53.
  3. cobanobuのブログ「ピンク女優の実演ブーム」

注釈

  1. 作:尾形洋太郎、出演:土師寛、志村曜子。土師寛は「浅草出身の軽快な芸達者」とある。
  2. ポスターに「奇譚クラブ連載『花と蛇』より」と書いている。

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