「式場隆三郎」の版間の差分

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*[[式場隆三郎]]『'''精神病理学'''』(三笠書房, 1937)
*[[式場隆三郎]]『'''精神病理学'''』(三笠書房, 1937)
*羅信耀・[[式場隆三郎]]『'''北京の市民'''』(文藝春秋社, 1941)
*羅信耀・[[式場隆三郎]]『'''北京の市民'''』(文藝春秋社, 1941)
*[[式場隆三郎]]『'''夜想'''』(大元社, 1946)
*[[式場隆三郎]]『'''夜想'''』([[大元社]], 1946)
*[[式場隆三郎]]『'''愛の異教徒―マルキ・ド・サドの生涯と芸術'''』(綜合出版社, 1947)
*[[式場隆三郎]]『'''愛の異教徒―マルキ・ド・サドの生涯と芸術'''』(綜合出版社, 1947)
*[[式場隆三郎]]『'''諸国の民芸'''』(大日本雄弁会講談社, 1947)
*[[式場隆三郎]]『'''諸国の民芸'''』(大日本雄弁会講談社, 1947)

2011年3月9日 (水) 23:11時点における版

しきば りゅうさぶろう、1898年(明治31年)7月2日 - 1965年(昭和40年)11月21日

概要

精神病理学者。文芸界につながりが深く、ゴッホの研究、山下清の後見人としても有名。久保藤吉高橋鐵に引き合わせたのは式場隆三郎で、これが縁であまとりあ社からあまとりあが創刊されることになる。それ以前に、式場隆三郎久保藤吉大元社から『夜想』を出版している。

別名

english

略歴

1898年(明治31年)7月2日、新潟県中蒲原郡に生まれる。

1936年(昭和11年)、千葉県市川市国府台に国府台病院(現在の式場病院)を創設。

エピソード

  • 三島由紀夫と交流があり、三島は自らの同性愛的な性的指向を式場隆三郎に告白している。
  • 息子の式場壮吉は日本のレーサーの草分け。式場壮吉夫人は歌手の欧陽菲菲。

代表作

引用文献

注釈


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