中村座

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概要

伊藤晴雨の4度目の劇団「責めの劇団」が活動拠点とした文京区にあった小劇場。同劇場で「責めの劇団」の第2回公演が行われている[1]

別名

所在地

東京都文京区東片町下在

歴史

1953年(昭和28年)、伊藤晴雨の友人が新築。ここを活動拠点として伊藤晴雨の4度目の劇団「責めの劇団」が結成される[1]

1953年(昭和28年)6月4日、「責めの劇団」の第1回公演が市川鈴本でおこなわれる[注 1][1]

1953年(昭和28年)7月11日、「責めの劇団」の第2回公演を中村座でおこなう[注 2][2][注 3][1]

エピソード

  • 「間口五間奥行三間定員百五十人の小劇場」[1]。あるいは「五百人程度(ギシギシに詰めて)の小劇場にて間口五間、奥行三間、高さ十一尺」[2]
  • 1953年(昭和28年)8月にも第二日曜日に中村座で公演すると書いている[2]

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 伊藤晴雨其の頃を語る(五) 責め場の舞台装置法奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, p169
  2. 2.0 2.1 2.2 KK通信1953年(昭和28年)10月1日第13号

注釈

  1. 濡木痴夢男はこの公演を観ていると「奇譚クラブの絵師たち」と書いている。それによると演目は鈴木泉三郎脚本の『火あぶり』(これは晴雨がモデルで空気座が東横デパートの劇場で上演したある。ただし、伊藤晴雨の記録では「三〇余名の会員を前にして「雪責めの女」を上演」とある。
  2. 演目は「番町皿屋敷青山鉄山館の場」と林家正蔵の人情咄」「江戸川乱歩、村上元三、長谷川伸などの会員が来場」、とある。入場料300円。
  3. おそらくその後、「番町皿屋敷青山鉄山邸に上場し会員組織を以て興行した」とある。

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