上田青柿郎

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うえだ せいしろう (生年不明)

活動内容

緊縛師。写真家。編集者。

別名

Seishiro Ueda、上田嘉信[1]

略歴

1949年(昭和24年)讀切ロマンスが創刊。人情講談別冊として合資会社サンライズ書房から。初期の編集人は小堀神風となっているが、1952年3月号は第4巻、5号として編集人が上田青柿郎に。発行も睦書房。

1952年(昭和27年)讀切ロマンス八月号(第4巻11号)臨時増刊号「ヌード風俗アルバム」。編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:加藤木豊三。発行は睦書房。編集後記に「『縛り絵』一年生」として上田の手記。「「女の責め場」をヌード写真に採上げてじゃらちょうど一年になる。・・・「

1953年(昭和28年)讀切ロマンス一月号臨時増刊号「伊藤晴雨監修:悦虐恍惚図」八〇円。編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:久野木貞治。写真内容はぐっと伊藤晴雨風になっている。

1953年(昭和28年)頃、風俗草紙に執筆。七月号「新しい責め古い責め」、八月号「木馬責め滑車責め」。

1954年(昭和29年)、風俗科斈5月号に口絵。

1954年(昭和29年)、賀山茂が上田の「縛りの撮影会」に参加したとの記録を自伝に書いている[2]。会場は新宿の元遊郭。会費2000円。数名の会員が土蔵の中でSMショーを観る。当時、上田は辰巳出版にいたようだ、とある[3]

1961年(昭和36年)、伊藤晴雨の葬儀に参列。この時、全日本社にいる[4]

1962年(昭和37年)、この頃広晴社出版の『実話と秘録』の編集人をやっている。

1970年(昭和45年)、綜合図書から「緊縛フォト選集 禁じられた恍惚」。カバー絵は秋吉巒

1971年(昭和46年)、に綜合図書から「緊縛フォト選集 恍惚の美学」「同 薔薇聖女」カバー絵は秋吉巒

年代不詳で団鬼六と現代ジュゲム・プロから「アブノーマルセックス」

エピソード

代表作

讀切ロマンス

参考資料

  1. 風俗資料館で入手した情報。
  2. 賀山茂『縄愛回顧録』別冊S&Mスナイパー1983年(昭和58年)3月号から1984年(昭和59年)1月号まで連載。
  3. 『賀山茂の世界』より(既に閉鎖されたHP)。
  4. 『巨星落ちたり-妖美画家 伊藤晴雨伝』美人乱舞:責め絵師伊藤晴雨頌(弓立社, 1997)

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