「ジャパン・ビコッテ」の版間の差分

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1970年(昭和45年)、ヘラルド映画とミリオン映画がビデオ会社「[[ジャパン・ビコッテ]]」を設立<ref name="kakumei">[[藤木TDC]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344981251?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4344981251 『アダルトビデオ革命史』]([[幻冬舎]], 2009)</ref>。
1970年(昭和45年)、ヘラルド映画とミリオン映画がビデオ会社「[[ジャパン・ビコッテ]]」を設立<ref name="kakumei">[[藤木TDC]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344981251?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4344981251 『アダルトビデオ革命史』]([[幻冬舎]], 2009)</ref>。


1972年(昭和47年)2月16日、[[にっかつ|日活]]、東映、[[ジャパン・ビコッテ]]が「成人ビデオ倫理自主規制懇談会」(後の「日本ビデオ倫理協会」)設立<ref name="kakumei"></ref>。
1972年(昭和47年)2月16日、[[日活]]、[[東映]]、[[ジャパン・ビコッテ]]が「[[成人ビデオ倫理自主規制懇談会]]」(後の「[[日本ビデオ倫理協会]]」)設立<ref name="kakumei"></ref>。


1972年(昭和47年)、[[にっかつ|日活]]、東映、[[ジャパン・ビコッテ]]はビデオ化専用の映画の製作を中止し、映倫で審査済みの劇場公開作品のみをビデオ化する方針を決定<ref name="kakumei"></ref>。
1972年(昭和47年)、[[にっかつ|日活]]、東映、[[ジャパン・ビコッテ]]はビデオ化専用の映画の製作を中止し、映倫で審査済みの劇場公開作品のみをビデオ化する方針を決定<ref name="kakumei"></ref>。
==所在地==
==所在地==
港区新橋2-20-15新橋駅ビル1号(1984頃)


==代表作==
==代表作==

2021年8月9日 (月) 07:45時点における最新版

概要

別名

日本ビコッテ、Vicotte

レーベル

主な監督

歴史

1970年(昭和45年)、ヘラルド映画とミリオン映画がビデオ会社「ジャパン・ビコッテ」を設立[1]

1972年(昭和47年)2月16日、日活東映ジャパン・ビコッテが「成人ビデオ倫理自主規制懇談会」(後の「日本ビデオ倫理協会」)設立[1]

1972年(昭和47年)、日活、東映、ジャパン・ビコッテはビデオ化専用の映画の製作を中止し、映倫で審査済みの劇場公開作品のみをビデオ化する方針を決定[1]

所在地

港区新橋2-20-15新橋駅ビル1号(1984頃)

代表作

引用文献

注釈

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つながり

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