サスペンス&ミステリーマガジン

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サスペンス&ミステリーマガジン 1968年(昭和43年)9月創刊号

サスペンス&ミステリーマガジン、1968年(昭和43年)〜1983年(昭和58年)[注 1]コバルト社から1968年9月に創刊。「SM」という略号を表紙に使い出した雑誌は同誌と、同年6月創刊の手帖社『S・Mグラフ』である(『SMという言葉の誕生』(bit.ly/przLSz)参照)。『SMマガジン』へと改題して1983年まで続く。

概要

1970年代からSM雑誌のブームが起こるが、雑誌に「SM」という言葉を堂々と使い出したのは、1968年(昭和43年)に創刊された『サスペンス&ミステリーマガジン』や同年6月創刊の手帖社S・Mグラフ』あたりである。正式名「サスペンス&ミステリーマガジン」でスタートしたが、当初より表紙にはタイトルの略号として「SM」が大きくデザインされている。創刊2カ月後の1968年(昭和43年)11月号からは裏表紙の雑誌名がサスペンス&ミステリーマガジンから『SMマガジン』に変わっている。1983年(昭和58年)まで続く。

発行年・出版社

コバルト社から1968年(昭和43年)9月に創刊され、1976年(昭和51年)『SMマガジン』へと改題し、1983年(昭和58年)4月号まで続く。

発行人・編集人

編集人:松山譲一

主な出来事

1968年(昭和43年)9月、編集人:松山譲一で創刊。表紙にはタイトルの略号として「SM」が大きくデザインされている。

植草甚一骨なし人間』、本郷寅夫切腹 - この魅せられたる自虐 -

1968年(昭和43年)11月、この号以降サスペンス&ミステリーマガジンの裏表紙の書名が「SMマガジン」となっている。

1969年(昭和44年)10月、臨時増刊号第1号として『SMマガジン[注 2]10月臨時増刊号』を発行[注 3]

1970年(昭和45年)2月、臨時増刊号第2号として『SMマガジン2月臨時増刊号』。

1970年(昭和45年)2月、臨時増刊号は『問題SM小説』として独立。

1976年(昭和51年)8月、サスペンス&ミステリーマガジン8月臨時増刊「耽美SM小説第2集」。

1983年(昭和58年)、4月号で休刊。

エピソード

引用文献

注釈

  1. ただし、1976年(昭和51年)に『SMマガジン』へと改題
  2. 本来なら『サスペンス&ミステリーマガジン臨時増刊号』というべきところを、略号の『SMマガジン』を使っている。
  3. 編集人は同じく松山譲一椋陽児や植草甚一が書いている。

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つながり

SMという言葉の誕生