エロ法規制の歴史

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2010年6月2日 (水) 13:57時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎言葉の定義)

言葉の定義

  • 刑事犯罪は『捜査』『起訴』『公判』の3段階に分かれる。
  • 『逮捕』とは捜査機関が犯罪を犯したと思料する人の身柄を拘束する手続。法律用語。拘束は48時間以内と限られており、検察に身柄送検される。逮捕していない場合は書類送検。
  • 『検挙』とは捜査期間が犯罪を見つけたことを意味し、一般的に犯人まで特定している。厳密な法律用語ではない。
  • 『摘発』とは「検挙」と似ているが捜査期間が犯罪を見つけただけで、犯人の特定にまで至っていないようなケースも含む。厳密な法律用語ではない。
  • 『起訴』。検察官は送検されてきた被疑者に対して、裁判所に勾留請求をおこない、勾留期間(通常10日)内に捜査を行い、「起訴」「不起訴」「起訴猶予」などを決定。「起訴猶予」は「不起訴」の一種。
  • 『留置所』とは逮捕者の留置、送検者の拘留をおこなう施設で警察内に設置。
  • 『拘置所』とは刑事被告人を収容する法務省の施設。
  • 『刑務所』とは刑罰に服する者を収容する法務省の施設。死刑確定者は拘置所に収容。
  • 『発禁』。書物の発禁は厳密には存在しない。「わいせつ物頒布罪」は出版した者が刑事罰の対象となるだけで、出版物の発禁ではない。人権侵害、著作権侵害で裁判所より出版が差し止められることがあり、俗に発売禁止と呼ばれる。
  • 「逮捕」「摘発」がそのまま「送検」を意味しないので注意が必要。わいせつ図書販売などの場合、多くの場合は「摘発」され、1,2日間留置所(ブタ箱)に拘束された後、「起訴猶予」で終わり前科はつかない。

主な事件

1946年(昭和21年), カストリ雑誌の1つ『猟奇』12月号が摘発。対象は北川千代三の「H大佐夫人」[注 1][1]

1947年(昭和22年)1月1日、帝都座秦豊吉がしかけた『額縁ショー』の頃の警視庁保安課取り締まり規則は次の通り。「ズローズは股下二寸未満のもの及び肉色のものはこれを禁ずること。背部は上体の二分の一より以下を露出せしめざる事。静物と称し全身に肉襦袢を着し、裸体の曲線美を表するものは、腰部をスカートその他これに類するものを以て覆わしむこと」[2]

1950年代、ジプシー・ローズの「グラインド」が禁止。「二回以上の尻回しと三回以上の腰振りは猥雑にあたる」[1]

1954年(昭和29年)、風俗草紙2月号が摘発。奇譚クラブ3月号が摘発[注 2]風俗草紙4月号、奇譚クラブ4月号が摘発[3]。6月号〜9月号、12月号〜1955年3月号が休刊。

1955年(昭和30年)3月25日、奇譚クラブ4月号が押収。容疑箇所は伊藤晴雨の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」[4]

1956年(昭和31年)、『売春防止法案」が成立・公布。

1958年(昭和33年)4月1日、『売春防止法案」が施行。

1962年(昭和37年)、裏窓8月号が摘発。

1968年(昭和43年)9月、奇譚クラブが扉頁に「本誌自粛の徹底」を掲載(これ以降の号、毎月)。当局の取り締まりを意識。

1972年(昭和47年)、日本ビデオ倫理協会設立。

1973年(昭和48年)、SMキングの8月号と9月号が発禁処分に[5]

1980年(昭和55年)、ビニ本販売で芳賀書店専務の芳賀英明が指名手配、出頭。

1999年(平成11年)、風俗営業法

2008年(平成20年)、改正風営法

2008年(平成20年)3月1日、「日本ビデオ倫理協会」の審査部統括部長小野克巳らが逮捕。

2008年(平成20年)6月、日本ビデオ倫理協会が審査停止。「日本映像倫理審査機構」となる。

参考文献

  1. 1.0 1.1 広岡敬一『戦後性風俗体系 わが女神たち』(朝日出版社, 2000)
  2. 『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)
  3. 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
  4. 奇譚クラブ』1955年(昭和30年)10月号。
  5. SMキング1973年(昭和48年)11月号『鬼六談義 秋風の季節』

注釈

  1. 発禁号は闇市で200円で取引されていた。
  2. 濡木痴夢男の『魔性の姉妹』が対象。