「アルス・ノーヴァ」の版間の差分

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*今井重幸の前妻が伊藤ミカ<ref name="bungaku"></ref>。
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*劇団アルスノーヴァの稽古場兼持ち小屋としてスタートしたが、劇団アルスノーヴァ解散後も、小劇場として広く使われる。
*劇団アルスノーヴァの稽古場兼持ち小屋としてスタートしたが、劇団アルスノーヴァ解散後も、小劇場として広く使われる。
*[[寺山修司とSM |寺山修司]]が「俺に本を書かせろ」と言って来たので頼んだものの結局書かずじまいで、公演中止になり、その借金で劇団アルスノーヴァは解散したそうだ。その後寺山は自分で天井桟敷を旗揚げ。
*[[寺山修司とSM |寺山修司]]が劇団アルスノーヴァに「俺に本を書かせろ」と言って来たので頼んだものの結局書かずじまいで、公演中止になり、その借金で劇団アルスノーヴァは解散。その後寺山は自分で天井桟敷を旗揚げ。<ref name="lasens">[http://www.lasens.com/theaDetail23.html LaSens 小劇場データベース]</ref>
*「パントマイムの(ヨネヤマ・ママコ)、前衛舞踏の(土方巽)、モダンダンスの(三条万里子)、スペイン舞踊の(小松原庸子)、フラメンコの(小島章司)、バレエの(井上博文バレエ団)、演劇の(野沢那智)(有本欽隆)(劇団アルス・ノーヴァ)の他、若い多くの舞踏家たちが巣立つ。」<ref name="bungaku"></ref>。
*「パントマイムの(ヨネヤマ・ママコ)、前衛舞踏の(土方巽)、モダンダンスの(三条万里子)、スペイン舞踊の(小松原庸子)、フラメンコの(小島章司)、バレエの(井上博文バレエ団)、演劇の(野沢那智)(有本欽隆)(劇団アルス・ノーヴァ)の他、若い多くの舞踏家たちが巣立つ。」<ref name="bungaku"></ref>。



2010年8月1日 (日) 10:46時点における版

概要

1955年(昭和30年)[1]から2007年(平成19年)まで杉並区阿佐ヶ谷南 3-37-9にあった都内最古の小劇場の一つ。長田英吉オサダ・ゼミナールの第一回とその後の例会会場として使った。収容人数60名。

別名

阿佐谷アルスノーバ

トピックス

  • オーナーの「今井重幸」は別名を「まんじ敏幸」といい、伊福部昭の弟子にあたる作曲家。土方巽のパフォーマンスに「舞踏」という言葉を当てた人としても有名。かつてアルスノーヴァの2階に土方巽が住んでいた。
  • 今井重幸の前妻が伊藤ミカ[1]
  • 劇団アルスノーヴァの稽古場兼持ち小屋としてスタートしたが、劇団アルスノーヴァ解散後も、小劇場として広く使われる。
  • 寺山修司が劇団アルスノーヴァに「俺に本を書かせろ」と言って来たので頼んだものの結局書かずじまいで、公演中止になり、その借金で劇団アルスノーヴァは解散。その後寺山は自分で天井桟敷を旗揚げ。[2]
  • 「パントマイムの(ヨネヤマ・ママコ)、前衛舞踏の(土方巽)、モダンダンスの(三条万里子)、スペイン舞踊の(小松原庸子)、フラメンコの(小島章司)、バレエの(井上博文バレエ団)、演劇の(野沢那智)(有本欽隆)(劇団アルス・ノーヴァ)の他、若い多くの舞踏家たちが巣立つ。」[1]

引用文献

注釈

お役たちweb

つながり

長田英吉 オサダ・ゼミナール