1960年(昭和35年)、浅草で「残酷ショー」の『花嫁と山男』の公演[1]。
1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)すぎに「残酷ショー」が流行る。ロベルト秋山(=ローズ秋山?)、伊藤残酷ショー(=伊藤一夫?)。鉄の五郎ショーとか次々現れた[2]。
1965年(昭和40年)頃、深井俊彦が「残酷ショー」を始める。全盛期は30組ほど存在[3]。