責め

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せめ

概要

演劇・文楽における責め

演技のパターンとして『責め』があり、『責め』が用いられる場面が『責め場』と呼ばれる。、元禄歌舞伎から江戸中期までの『責め』は「責めそれ自体に、民俗的ないしは宗教的な心意をストレートに反映していた」のに対し、文化文政期から幕末にかけては「『』をより残酷に行なうための手段として、責めのパターンが利用」されていた[1]

野郎歌舞伎時代

  • 1678年(延宝6年)の菱川師宣古今役者物語』の中の「山ぜうだゆふ あんじゆのひめ(三庄太夫 安寿の姫)」に「いたはしやひめ君を、たかてこてにいましめて」とある[2]

元禄歌舞伎

継母が懐胎した女に鉄灸をあてて責める「鉄灸責め」。継母は責めやいじめのパターンを演じる役者[1]
  • 妹背山御殿
  • 壇浦兜軍記』の「阿古屋の琴責め」
  • ひばり山姫捨松』の「中将姫の雪責め

資料

参考

引用文献

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  2. 『江戸時代文芸資料』(図書刊行会, 1916)

注釈

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