「讀切ロマンス」の版間の差分

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== 主な出来事==
== 主な出来事==
[[画像:Ozaki.jpg|150px|thumbnail| [[讀切ロマンス]]1952年(昭和27)年2月号の緊縛写真]]
1949年(昭和24年)、12月1日'''人情講談'''の別冊として'''合資会社[[サンライズ書房]]'''から創刊。
1949年(昭和24年)、12月1日'''人情講談'''の別冊として'''合資会社[[サンライズ書房]]'''から創刊。



2011年7月29日 (金) 21:56時点における版

讀切ロマンス 1951年(昭和26年)5月号 画・牧山隆一

よみきりろまんす』1949年(昭和24年)ー1950年代初め?

概要

カストリ雑誌の晩期に創刊された雑誌と思われる。創刊は奇譚クラブよりも遅いものの、緊縛写真は1951年(昭和26年)の中頃から掲載してたようで、奇譚クラブより約1年早いことになる。緊縛写真を掲載していたころの編集人は上田青柿郎で、後に風俗草紙風俗科斈に執筆している。また、賀山茂上田青柿郎の「縛りの撮影会」に1954年(昭和29年)頃参加したとの記録がある。1952年(昭和27年)8月と1953年(昭和28年)1月に別冊の緊縛写真集を出しているが、後者には伊藤晴雨風の写真が掲載されている。

発行年・出版社

1949年12月1日、合資会社サンライズ書房

1951年5月号は睦書房

1952年3月号は第4巻、睦書房

発行人・編集人

讀切ロマンス 1952年(昭和27年)8月号

編集人:小堀神風、発行人:久保田嶽五郎

編集人:川越嵬、発行人:小林光雄、印刷人:大塚勇 (1951年5月号)

編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:田代伯文(1952年2月号)

編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:加藤木豊三

編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:久能木貞治

主な出来事

讀切ロマンス1952年(昭和27)年2月号の緊縛写真

1949年(昭和24年)、12月1日人情講談の別冊として合資会社サンライズ書房から創刊。

1951年(昭和26年)7月号、田賀甫構成のグラビアに緊縛写真が登場。新宿セントラル劇場でのストリップ舞台と思われる[注 1]

1952年(昭和27年)、2月号には緊縛写真。撮影は尾崎光陽。編集人上田青柿郎睦書房。表紙:牧山隆一。挿絵は佐野博、三木良、漫画は武居ヨシ雄、

1952年(昭和27年)、3月号を第4巻、5号として編集人上田青柿郎

1952年(昭和27年)8月号、臨時増刊号限定1000部の予約広告

讀切ロマンス 1952年(昭和27年)8月増刊号

1952年(昭和27年)8月、讀切ロマンス臨時増刊号として『特写 ヌード風俗アルバム』を第4巻第11号として発行[注 2]

1953年(昭和28年)1月、讀切ロマンス臨時増刊として『伊藤晴雨監修 ヌードアルバム 悦虐恍惚図』を発行。

エピソード

  • 緊縛写真は奇譚クラブより先[注 3]
  • 1952年(昭和27年)2月号の緊縛写真には「撮影:尾崎光陽」とある。
  • サンライズ書房睦書房共に東京都千代田区神田駿河台三ノ三
  • 小堀神風は「現代評判名作全集 婦女界附録 斜陽他」や『伝記』(1948年(昭和23年))青柿堂などの編集。
  • 石塚喜久三、香山滋、城昌幸、長田幹彦、野村胡堂、村上元三、横溝正史、潮寒二、荻原秀夫などの小説が掲載。
  • 成瀬一富、加藤敏郎、神保朋世、今村恒美などの挿絵。

引用文献

注釈

  1. モデルはサリー・宮川で、演目は「更屋敷」。おそらく田賀甫が演出したものであろう。
  2. 編集後記に「『縛り絵』一年生」として上田の手記。「「女の責め場」をヌード写真に採上げてからちょうど一年になる。」と書いてある。
  3. 奇譚クラブは1952年(昭和27年)5・6月合併号。

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