菊池寛

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きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日

概要

小説家としても有名だが、雑誌関係の実業家としても活躍。特に、『夫婦生活』や東京三世社につながる雑誌を創刊していることに注目したい。

別名

english

略歴

1888年(明治21年)12月26日、香川県高松に生まれる。

1922年(大正11年)、春陽堂から『文藝春秋』創刊。

1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『モダン日本』創刊[注 1]

1932年(昭和7年)頃、『文藝春秋』の座談会で菊池寛秦豊吉小林一三を紹介[1]

1933年(昭和8年)、富永謙太郎菊池寛の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。

1933年(昭和8年)、『』(鱒書房)創刊[注 2]

1952年(昭和27年)、日劇5階『日劇小劇場』に日劇ミュージックホールがオープン。東宝社長であった小林一三の指示[注 3]。プロデュースは丸尾長顕[注 4]。越路吹雪を迎えて開幕[2]

エピソード

代表作

引用文献

  1. 『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)
  2. 広岡敬一『戦後性風俗体系 わが女神たち』(朝日出版社, 2000)
  3. 花田紀凱の戦後雑誌風雲録

注釈

  1. 2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『別冊モダン日本』として再生。1951年に廃刊。『別冊モダン日本』を作っていた牧野英二が吉行淳之介、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に三世社を設立。
  2. 1949年(昭和24年)6月には『夫婦生活』と改題。
  3. 小林は最初、エロ抜きを考えていたようだが、第1回越路吹雪公演が悲惨な入りだったために、次第にエロ路線に。
  4. 文芸作家で宝塚歌劇団の文芸部長だった。「エロチシズムは種族保護本能の発露」と主張。

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