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1888年(明治21年)12月26日、香川県高松に生まれる。
1888年(明治21年)12月26日、香川県高松に生まれる。


1922年(大正11年)、春陽堂から『'''文藝春秋'''』創刊。
1923年(大正12年)1月号、春陽堂から『'''文藝春秋'''』創刊。


1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『'''モダン日本'''』創刊<ref group="注">2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『'''別冊モダン日本'''』として再生。1951年に廃刊。『'''別冊モダン日本'''』を作っていた牧野英二が[[吉行淳之介]]、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に[[三世社]]を設立。</ref>。
1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『'''モダン日本'''』創刊<ref group="注">2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『'''別冊モダン日本'''』として再生。1951年に廃刊。『'''別冊モダン日本'''』を作っていた牧野英二が[[吉行淳之介]]、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に[[三世社]]を設立。</ref>。


1932年(昭和7年)頃、『文藝春秋』の座談会で[[菊池寛]]が[[秦豊吉]]に[[小林一三]]を紹介<ref name="The">『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)</ref>。
1932年(昭和7年)頃、『'''文藝春秋'''』の座談会で[[菊池寛]]が[[秦豊吉]]に[[小林一三]]を紹介<ref name="The">『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)</ref>。


1933年(昭和8年)、[[富永謙太郎]]が[[菊池寛]]の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。
1933年(昭和8年)、[[富永謙太郎]]が[[菊池寛]]の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。


1933年(昭和8年)3月、『'''話'''』(文藝春秋社)創刊。
1933年(昭和8年)3月、『'''[[]]'''』(文藝春秋社)創刊。


1948年(昭和23年)、『''''''』の出版権を[[増永善吉]]に譲る<ref group="注">1949年(昭和24年)6月には『[[夫婦生活]]』と改題。</ref>。
1935年(昭和10年)、「'''直木賞'''」の設置。


1952年(昭和27年)、日劇5階『日劇小劇場』に[[日劇ミュージックホール]]がオープン。東宝社長であった[[小林一三]]の指示<ref group="注">小林は最初、エロ抜きを考えていたようだが、第1回越路吹雪公演が悲惨な入りだったために、次第にエロ路線に。</ref>。プロデュースは丸尾長顕<ref group="注">文芸作家で宝塚歌劇団の文芸部長だった。「エロチシズムは種族保護本能の発露」と主張。</ref>。越路吹雪を迎えて開幕<ref name="ex01">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4094060065?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4094060065 広岡敬一『戦後性風俗体系 わが女神たち』(朝日出版社, 2000)]</ref>。
1945年(昭和20年)3月、戦火が激しくなり『'''文藝春秋'''』が休刊。
 
1945年(昭和20年)10月、『'''文藝春秋'''』復刊。
 
1946年(昭和21年)3月、[[菊池寛]]は'''文藝春秋社'''を解散。佐々木茂索が'''文藝春秋新社'''を設立。
 
1946年(昭和21年)6月、進駐軍に、それまでいた大阪ビルの接収を受け、その裏の幸ビルに移転。
 
1947年(昭和22年)10月、[[菊池寛]]と佐々木茂索は公職追放。
 
1948年(昭和23年)、『'''[[話]]'''』の出版権を[[増永善吉]]に譲る<ref group="注">1949年(昭和24年)6月には『[[夫婦生活]]』と改題。</ref>。
 
1948年(昭和23年)3月6日、狭心症により永眠。


==エピソード==
==エピソード==
*[[菊池寛]]の文藝春秋社と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada">[http://www.zassi.net/contents/fuunroku.html 花田紀凱の戦後雑誌風雲録]</ref>。
*[[菊池寛]]の文藝春秋社と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada">[http://www.zassi.net/contents/fuunroku.html 花田紀凱の戦後雑誌風雲録]</ref>。
*[[秦豊吉]]、久米正雄、山本有三、[[菊池寛]]とは第一高等学枚時代の同級生。


==代表作==
==代表作==

2011年10月7日 (金) 12:41時点における最新版

きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日

概要

小説家としても有名だが、雑誌関係の実業家としても活躍。特に、『夫婦生活』や東京三世社につながる雑誌を創刊していることに注目したい。

別名

english

略歴

1888年(明治21年)12月26日、香川県高松に生まれる。

1923年(大正12年)1月号、春陽堂から『文藝春秋』創刊。

1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『モダン日本』創刊[注 1]

1932年(昭和7年)頃、『文藝春秋』の座談会で菊池寛秦豊吉小林一三を紹介[1]

1933年(昭和8年)、富永謙太郎菊池寛の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。

1933年(昭和8年)3月、『』(文藝春秋社)創刊。

1935年(昭和10年)、「直木賞」の設置。

1945年(昭和20年)3月、戦火が激しくなり『文藝春秋』が休刊。

1945年(昭和20年)10月、『文藝春秋』復刊。

1946年(昭和21年)3月、菊池寛文藝春秋社を解散。佐々木茂索が文藝春秋新社を設立。

1946年(昭和21年)6月、進駐軍に、それまでいた大阪ビルの接収を受け、その裏の幸ビルに移転。

1947年(昭和22年)10月、菊池寛と佐々木茂索は公職追放。

1948年(昭和23年)、『』の出版権を増永善吉に譲る[注 2]

1948年(昭和23年)3月6日、狭心症により永眠。

エピソード

代表作

引用文献

  1. 『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)
  2. 花田紀凱の戦後雑誌風雲録

注釈

  1. 2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『別冊モダン日本』として再生。1951年に廃刊。『別冊モダン日本』を作っていた牧野英二が吉行淳之介、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に三世社を設立。
  2. 1949年(昭和24年)6月には『夫婦生活』と改題。

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