「立花郁子」の版間の差分

提供:SMpedia
(ページの作成: 150px|thumbnail|立花郁子 [[奇譚クラブ1952年(昭和27年)8月号より]] '''たちばな いくこ'''、1934年(昭和9年)? ー ==概要== […)
 
 
(同じ利用者による、間の5版が非表示)
1行目: 1行目:
[[画像:filename.jpg|150px|thumbnail|立花郁子 [[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号より]]
[[画像:IkukoTachibana.jpg|150px|thumbnail|立花郁子 [[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号より]]
'''たちばな いくこ'''、1934年(昭和9年)? ー
'''たちばな いくこ'''、1934年(昭和9年)? <ref group="注">「1952年(昭和27年)夏に高校を卒業」したことから逆算した。</ref>
==概要==
==概要==
[[奇譚クラブ]][[曙書房]]時代のモデル。[[辻村隆]]が[[川端多奈子]]以前に縛ったことがあるモデル。ただし実験的な試みで構成を考えるまでにはいたっていない<ref name="sugao3">[[辻村隆]]『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195503/195503_033.html 3月号]</ref>。緊縛に積極的な女性だが使った写真は少ない、とある。[[川端多奈子]]が人気を集め出すと共に、家庭の事情で消えていった<ref name="mazo"></ref>。
[[奇譚クラブ]][[曙書房]]時代のモデル。[[辻村隆]]が[[川端多奈子]]以前に縛ったことがあるモデル。ただし実験的な試みで構成を考えるまでにはいたっていない<ref name="sugao3">[[辻村隆]]『'''緊縛モデルの素顔'''』1955年(昭和30年)[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195503/195503_033.html 3月号]</ref>。緊縛に積極的な女性だが使った写真は少ない、とある。[[川端多奈子]]が人気を集め出すと共に、家庭の事情で消えていった<ref name="mazo"></ref>。


==略歴==
==略歴==
1951年(昭和26年)6月頃、[[辻村隆]]が一度モデル希望ということで面接しているが断わった<ref name="mazo">[[辻村隆]]『モデル女のまぞひずむ』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/071.html, p274]</ref>。
1951年(昭和26年)6月頃、[[辻村隆]]が一度モデル希望ということで面接しているが断わった<ref name="mazo">[[辻村隆]]『'''モデル女のまぞひずむ'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/071.html, p274]</ref>。


1952年(昭和27年)夏、高校を卒業してまもなく、再度モデル志願に来たので採用(逆算すると1934年(昭和9年)頃の生まれとなる)。[[奇譚クラブ]]8月号に出ている<ref name="mazo"></ref>。
1952年(昭和27年)夏、高校を卒業してまもなく、再度モデル志願に来たので採用。[[奇譚クラブ]]8月号に出ている<ref name="mazo"></ref>。


1954年(昭和29年)、[[辻村隆]]が[[奇譚クラブ]]10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/071.html p274]『'''モデル女のまぞひずむ'''』で紹介。
1954年(昭和29年)、[[辻村隆]]が[[奇譚クラブ]]10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/071.html p274]『'''モデル女のまぞひずむ'''』で紹介。


==関連作品==
==関連作品==
* 『'''美しき苦悶'''』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195207/01/003.html グラビア]のいくつかのモデルも[立花郁子]]のように見える。
* 『'''美しき苦悶'''』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195207/01/003.html グラビア]のいくつかのモデルも[[立花郁子]]のように見える。
*『縛られたる女』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195208/02/137.html グラビア]<ref group="注">右上の胡座を書いている女性と、その一番下の机の上で仰向けになっている女性。さらに次のページの木に縛られている女性。</ref>
*『'''縛られたる女'''』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195208/02/137.html グラビア]<ref group="注">右上の胡座を書いている女性と、その一番下の机の上で仰向けになっている女性。さらに次のページの木に縛られている女性。</ref>
*[[辻村隆]]『'''モデル女のまぞひずむ'''』[[奇譚クラブ]]10月号1954年(昭和29年), [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/071.html p274]
 
== 引用文献==
== 引用文献==
<references/>
<references/>
23行目: 25行目:
==つながり==
==つながり==
[[奇譚クラブのモデル達]]
[[奇譚クラブのモデル達]]
{{DEFAULTSORT:T}}
{{DEFAULTSORT:たちばな いくこ}}
[[Category:モデル]]
[[Category:モデル]]
[[Category:1950年代のモデル]]
[[Category:総索引]]
[[Category:総索引]]

2013年12月29日 (日) 18:19時点における最新版

立花郁子 奇譚クラブ1952年(昭和27年)8月号より

たちばな いくこ、1934年(昭和9年)? [注 1]

概要

奇譚クラブ曙書房時代のモデル。辻村隆川端多奈子以前に縛ったことがあるモデル。ただし実験的な試みで構成を考えるまでにはいたっていない[1]。緊縛に積極的な女性だが使った写真は少ない、とある。川端多奈子が人気を集め出すと共に、家庭の事情で消えていった[2]

略歴

1951年(昭和26年)6月頃、辻村隆が一度モデル希望ということで面接しているが断わった[2]

1952年(昭和27年)夏、高校を卒業してまもなく、再度モデル志願に来たので採用。奇譚クラブ8月号に出ている[2]

1954年(昭和29年)、辻村隆奇譚クラブ10月号, p274モデル女のまぞひずむ』で紹介。

関連作品

引用文献

  1. 辻村隆緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号
  2. 2.0 2.1 2.2 辻村隆モデル女のまぞひずむ奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274

注釈

  1. 「1952年(昭和27年)夏に高校を卒業」したことから逆算した。
  2. 右上の胡座を書いている女性と、その一番下の机の上で仰向けになっている女性。さらに次のページの木に縛られている女性。

お役たちweb

つながり

奇譚クラブのモデル達