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*[[武野藤介]]『'''武野藤介風流随筆選'''』([[あまとりあ社]], 1959) | *[[武野藤介]]『'''武野藤介風流随筆選'''』([[あまとりあ社]], 1959) | ||
==新聞== | |||
*『'''肉体芸術'''』(1948)、発行印刷:アルフア出版社、編集:[[武野藤介]]、編集主:[[高橋鐵]] | |||
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2012年11月12日 (月) 07:52時点における版
たけの とうすけ、1899年(明治32年)[注 1]4月3日-1966年(昭和41年)
活動内容
『あまとりあ』や『かっぱ』、カストリ雑誌に作品を発表していた文筆家。風俗科斈の監修者としても名が残っている。
別名
武野真須太(本名)
略歴
1946年(昭和21年)9月、リファイン社から出た『赤と黒』創刊号「耽奇尖端特集号」に高橋鐵らと寄稿。
1951年(昭和26年)4月21日、『あまとりあ』の発行が軌道に乗ったことを祝し、「あまとりあ祭」として80名で伊豆・蓮台寺温泉に旅行。一行には高橋鐵、伊藤晴雨、中田雅久、三宅一朗、川上三太郎、岡田甫、池田文痴庵、正岡容、林家正楽、北里俊夫、南部僑一郎、武野藤介、小野常徳が[1]。
1958年(昭和33年)、高倉一が設立した新樹書房が創刊した『女の百科』に寄稿。
エピソード
代表作
- 武野藤介訳『アラビアンナイト』(春秋社, 1924)
- 武野藤介『誤診』(健文社, 1935)
- 武野藤介『小説あまとりあ』(あまとりあ社, 1951)
- 武野藤介『続小説あまとりあ』(あまとりあ社, 1953)
- 『風俗科斈』の監修。1953年(昭和28年)
- 武野藤介『情園』風俗科斈1953年(昭和28年)10月15日, p170(挿絵:月田考)
- 武野藤介『風流月旦 うわき随筆選』(あまとりあ社, 1955)(装幀:須磨利之、カット:秋保正三)
- 武野藤介『武野藤介風流随筆選』(あまとりあ社, 1959)
新聞
引用文献
注釈
- ↑ 2002年版『新訂 作家・小説家人名事典』による。1889年(明治22年)とする記述もある。