「昭和SMの歴史」の版間の差分

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==古い時代==
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==戦前==
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1919年(大正8年)12月、[[伊藤晴雨]]が[[佐原キセ]]をモデルに雪責めの写真。
1921年(大正10年)6月、[[伊藤晴雨]]が[[佐原キセ]]をモデルに『臨月の夫人の逆さ吊り写真』。
1921年(大正10年)、[[鈴木泉三郎]]が[[伊藤晴雨]]をモデルとした『[[火あぶり]]』を発表。
1925年(大正14年)夏、[[伊藤晴雨]]が責め専門の劇団を設立。
1928年(昭和3年)、[[伊藤晴雨]]が『責の研究』を発刊。


==昭和20年代(1945年〜1954年)==
==昭和20年代(1945年〜1954年)==

2013年4月29日 (月) 12:18時点における版

古い時代

戦前

1919年(大正8年)12月、伊藤晴雨佐原キセをモデルに雪責めの写真。

1921年(大正10年)6月、伊藤晴雨佐原キセをモデルに『臨月の夫人の逆さ吊り写真』。

1921年(大正10年)、鈴木泉三郎伊藤晴雨をモデルとした『火あぶり』を発表。

1925年(大正14年)夏、伊藤晴雨が責め専門の劇団を設立。

1928年(昭和3年)、伊藤晴雨が『責の研究』を発刊。

昭和20年代(1945年〜1954年)

1947年(昭和22年)1月1日、帝都座五階劇場のオープンとして『ヴィナスの誕生』公演。ストリップの源泉ともいわれる。

1947年(昭和22年)5月、猟奇第4号に伊藤晴雨『虐げられたる日本婦人』。

1947年(昭和22年)10月、奇譚クラブ創刊。カストリ雑誌時代の奇譚クラブである。

1948年(昭和23年)10月、遅くとも奇譚クラブ通巻9号から須磨利之辻村隆が登場。

1949年(昭和24年)12月、讀切ロマンス創刊。

1951年(昭和26年)暮、百万弗劇場での伊藤晴雨の作・演出による『雪地獄生娘』『火責め水責めの生娘』が大ヒット。

1951年(昭和26年)2月、高橋鐵あまとりあが創刊。

1952年(昭和27年)、讀切ロマンス2月号に緊縛写真が登場。

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ5・6月号からB5版からA5版へと変わり、内容も次第にSMを中心としたものに変わっていく。奇譚クラブの分譲写真の開始に相当する『裸婦肉体美写真実費分譲』の案内。「責められる女各態」とある。

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ4月号に沼正三が登場。

1953年(昭和28年)6月4日、伊藤晴雨「責めの劇団」の第1回公演が市川鈴本で。

1953年(昭和28年)7月、風俗草紙創刊。

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ11月号に濡木痴夢男が登場。

1954年(昭和29年)2月15日、風俗科斈第2巻第2号に上田青柿郎の分譲写真の案内「耽美派通信」。

昭和30年代(1955年〜1964年)

昭和40年代(1965年〜1974年)

昭和50年代(1975年〜1984年)

昭和60年代から平成へ(1985年〜1994年)

20世紀から21世紀へ(1995年〜2004年)

これからのSM(2005年〜 )

引用文献

注釈

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