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==概要==
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池袋駅の近くにあった座席数40程度の小ストリップ劇場。1980年頃、[[川上譲治]]が活動拠点として使った。
池袋駅の近くにあった座席数40程度の小[[ストリップ]]劇場。1980年頃、[[川上譲治]]が活動拠点として使った。


==歴史==
==歴史==


1981年(昭和56年)3月、[[川上譲治]]の企画で、マリ千鶴(松田千鶴)の『マリ千鶴・直感の世界<ref group="注">「マッチ売りの少女」としてマッチを観客に擦らせた。</ref>』が大ヒット<ref group="注">この公演あたりから従来のストリップファンに加えて、新しい若い層が観に来るようになる。</ref><ref name="saraba">[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)</ref>。
1981年(昭和56年)3月、[[川上譲治]]の企画で、マリ千鶴(松田千鶴)の『マリ千鶴・直感の世界<ref group="注">「マッチ売りの少女」としてマッチを観客に擦らせた。</ref>』が大ヒット<ref group="注">この公演あたりから従来の[[ストリップ]]ファンに加えて、新しい若い層が観に来るようになる。</ref><ref name="saraba">[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)</ref>。


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1981年(昭和56年)4月、[[川上譲治]]の企画ショー第2弾として「ポラロイドショー」<ref group="注">ダンサーは『ゴールデンサラマンドラ』に出ていた「チエ」。「前田真理子」として出演。</ref><ref name="saraba"></ref>。


1981年(昭和56年)4月、[[川上譲治]]企画の『芸術ストリップ・ショー ダンスラブマシーン』<ref group="注">暗黒舞踏団『 ダンスラブマシーン』主宰者の田村哲郎、その夫人の古川杏、『大駱駝館』の原田南店を練馬区豊玉にある『 ダンスラブマシーン』稽古場に訪れ、[[スカイ劇場]への出演を依頼。あまりにも前衛過ぎて、観客は拒否反応。</ref><ref name="saraba"></ref>。
1981年(昭和56年)4月、[[川上譲治]]企画の『芸術[[ストリップ]]・ショー ダンスラブマシーン』<ref group="注">暗黒舞踏団『 ダンスラブマシーン』主宰者の田村哲郎、その夫人の古川杏、『大駱駝館』の原田南店を練馬区豊玉にある『 ダンスラブマシーン』稽古場に訪れ、[[スカイ劇場]への出演を依頼。あまりにも前衛過ぎて、観客は拒否反応。</ref><ref name="saraba"></ref>。


1981年(昭和56年)5月、[[川上譲治]]企画のアングラ舞踏家<ref group="注">インドに行くための資金稼ぎ。</ref>の『杏&逗子王』白黒金粉ショー<ref name="saraba"></ref>。
1981年(昭和56年)5月、[[川上譲治]]企画のアングラ舞踏家<ref group="注">インドに行くための資金稼ぎ。</ref>の『杏&逗子王』白黒金粉ショー<ref name="saraba"></ref>。
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1982年(昭和57年)3月、[[川上譲治]]企画の「覗き部屋ショー」<ref name="saraba"></ref><ref group="注">当時流行りだした「覗き部屋」に触発された企画。[[根暗童子]]が企画に参加。</ref>。
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1982年(昭和57年)5月、[[川上譲治]]企画の「スキャンダル東京キッド」のショー<ref name="saraba"></ref><ref group="注">当時、小樽を拠点にしていた'''北方舞踏派'''のメンバー。かつて「鈴蘭党」とい名でストリップ劇場を回っていたが、京都で摘発されしばらくストリップには出ずに、主にキャバレーのフロアショーで資金稼ぎをしていた。[[川上譲治]]が'''北方舞踏派'''の高橋氏を紹介されたのは、宇野満氏からで、東京練馬にあった'''大駱駝館'''でであった。宇野満氏を[[川上譲治]]に紹介したのが、暗黒舞踏「天鶏」の主宰者、田中睦子女史からで、田中は川上譲治の舞台に上がっていた。</ref>。
1982年(昭和57年)5月、[[川上譲治]]企画の「スキャンダル東京キッド」のショー<ref name="saraba"></ref><ref group="注">当時、小樽を拠点にしていた'''北方舞踏派'''のメンバー。かつて「鈴蘭党」とい名で[[ストリップ]]劇場を回っていたが、京都で摘発されしばらく[[ストリップ]]には出ずに、主にキャバレーのフロアショーで資金稼ぎをしていた。[[川上譲治]]が'''北方舞踏派'''の高橋氏を紹介されたのは、宇野満氏からで、東京練馬にあった'''大駱駝館'''でであった。宇野満氏を[[川上譲治]]に紹介したのが、暗黒舞踏「天鶏」の主宰者、田中睦子女史からで、田中は川上譲治の舞台に上がっていた。</ref>。


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1982年(昭和57年)7月、[[川上譲治]]企画の「ストトル・ショー」がヒット<ref name="saraba"></ref><ref group="注">客を劇場外に連れ出し、マントルの内容の行為を劇場ビデオで他の客に見せるショー。「フォーカス」に取り上げられ、客が集まる。</ref>。8日目に警察の手入れ。続いて2回目の手入れ。
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1985年(昭和60年)5月1日、[[川上譲治]]が[[スカイ劇場]]の企画に復帰し、「シンドローム・ミスター」のホモショーを考案<ref name="saraba"></ref><ref group="注">目白のプロダクションACCが協力。</ref>。
1985年(昭和60年)5月1日、[[川上譲治]]が[[スカイ劇場]]の企画に復帰し、「シンドローム・ミスター」のホモショーを考案<ref name="saraba"></ref><ref group="注">目白のプロダクションACCが協力。</ref>。


1985年(昭和60年)8月31日、[[川上譲治]]企画による[[スカイ劇場]]のさよなら興行「ラストストリップ」をプロデュース。紺野尚子のスネークショー、プチ亜利益沙<ref group="注">元アドリアーネの会</ref>の金粉ショー、セクシープロイト<ref group="注">アングラ劇団出身の宮下夫婦。オフィス405という芸能社で知り合う。</ref>のSMショー、ダンスラブマシーン<ref group="注">中山直一とその彼女</ref>、ビクトリー和胡<ref group="注">北方舞踏派の主宰者、ビショップ山田の妻</ref>、美芸公<ref group="注">大駱駝館からの参加</ref>、ブレーク・トリボーズ<ref group="注">田中睦子と鳥居氏の夫婦が主宰する暗黒舞踏「天鶏」から鳥居と座員の典子。</ref>、東京ファンタジア。たまきあい、パペティアット銀猫、マリ千鶴、東京裸舞ハンター<ref group="注">[[根暗童子]]と妻のマミ。</ref>。11日間の公演。この後、一時ストリップから引退し、運送業を営む<ref name="sniper">Web Sniper 「ジョウジ川上55歳の決意」</ref>。
1985年(昭和60年)8月31日、[[川上譲治]]企画による[[スカイ劇場]]のさよなら興行「ラストストリップ」をプロデュース。紺野尚子のスネークショー、プチ亜利益沙<ref group="注">元アドリアーネの会</ref>の金粉ショー、セクシープロイト<ref group="注">アングラ劇団出身の宮下夫婦。オフィス405という芸能社で知り合う。</ref>のSMショー、ダンスラブマシーン<ref group="注">中山直一とその彼女</ref>、ビクトリー和胡<ref group="注">北方舞踏派の主宰者、ビショップ山田の妻</ref>、美芸公<ref group="注">大駱駝館からの参加</ref>、ブレーク・トリボーズ<ref group="注">田中睦子と鳥居氏の夫婦が主宰する暗黒舞踏「天鶏」から鳥居と座員の典子。</ref>、東京ファンタジア。たまきあい、パペティアット銀猫、マリ千鶴、東京裸舞ハンター<ref group="注">[[根暗童子]]と妻のマミ。</ref>。11日間の公演。この後、一時[[ストリップ]]から引退し、運送業を営む<ref name="sniper">Web Sniper 「ジョウジ川上55歳の決意」</ref>。


1985年(昭和60年)9月、閉館。
1985年(昭和60年)9月、閉館。

2011年6月19日 (日) 16:24時点における版

概要

池袋駅の近くにあった座席数40程度の小ストリップ劇場。1980年頃、川上譲治が活動拠点として使った。

歴史

1981年(昭和56年)3月、川上譲治の企画で、マリ千鶴(松田千鶴)の『マリ千鶴・直感の世界[注 1]』が大ヒット[注 2][1]

1981年(昭和56年)4月、川上譲治の企画ショー第2弾として「ポラロイドショー」[注 3][1]

1981年(昭和56年)4月、川上譲治企画の『芸術ストリップ・ショー ダンスラブマシーン』[注 4][1]

1981年(昭和56年)5月、川上譲治企画のアングラ舞踏家[注 5]の『杏&逗子王』白黒金粉ショー[1]

1981年(昭和56年)9月11日、川上譲治企画の「泥んこ生板女子大レスリングショー」[1]

1982年(昭和57年)3月、川上譲治企画の「覗き部屋ショー」[1][注 6]

1982年(昭和57年)5月、川上譲治企画の「スキャンダル東京キッド」のショー[1][注 7]

1982年(昭和57年)7月、川上譲治企画の「ストトル・ショー」がヒット[1][注 8]。8日目に警察の手入れ。続いて2回目の手入れ。

1982年(昭和57年)8月2日、川上譲治が公然わいせつ罪の容疑で逮捕。3日に送検。8月23日まで拘留され略式起訴の罰金5万円の刑[1]

1982年(昭和57年)12月、川上譲治企画の「デートショー」[1][注 9]

1983年(昭和58年)1月川上譲治企画の日野繭子のポルノ劇[1][注 10]。ここでしばらくスカイ劇場の企画から離れる。

1985年(昭和60年)5月1日、川上譲治スカイ劇場の企画に復帰し、「シンドローム・ミスター」のホモショーを考案[1][注 11]

1985年(昭和60年)8月31日、川上譲治企画によるスカイ劇場のさよなら興行「ラストストリップ」をプロデュース。紺野尚子のスネークショー、プチ亜利益沙[注 12]の金粉ショー、セクシープロイト[注 13]のSMショー、ダンスラブマシーン[注 14]、ビクトリー和胡[注 15]、美芸公[注 16]、ブレーク・トリボーズ[注 17]、東京ファンタジア。たまきあい、パペティアット銀猫、マリ千鶴、東京裸舞ハンター[注 18]。11日間の公演。この後、一時ストリップから引退し、運送業を営む[2]

1985年(昭和60年)9月、閉館。

所在地

東京都豊島区東池袋1-4-7フラワービル4階[1]

トピックス

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 川上譲治さらばストリップ屋』(朝日新聞社, 1988)
  2. Web Sniper 「ジョウジ川上55歳の決意」

注釈

  1. 「マッチ売りの少女」としてマッチを観客に擦らせた。
  2. この公演あたりから従来のストリップファンに加えて、新しい若い層が観に来るようになる。
  3. ダンサーは『ゴールデンサラマンドラ』に出ていた「チエ」。「前田真理子」として出演。
  4. 暗黒舞踏団『 ダンスラブマシーン』主宰者の田村哲郎、その夫人の古川杏、『大駱駝館』の原田南店を練馬区豊玉にある『 ダンスラブマシーン』稽古場に訪れ、[[スカイ劇場]への出演を依頼。あまりにも前衛過ぎて、観客は拒否反応。
  5. インドに行くための資金稼ぎ。
  6. 当時流行りだした「覗き部屋」に触発された企画。根暗童子が企画に参加。
  7. 当時、小樽を拠点にしていた北方舞踏派のメンバー。かつて「鈴蘭党」とい名でストリップ劇場を回っていたが、京都で摘発されしばらくストリップには出ずに、主にキャバレーのフロアショーで資金稼ぎをしていた。川上譲治北方舞踏派の高橋氏を紹介されたのは、宇野満氏からで、東京練馬にあった大駱駝館でであった。宇野満氏を川上譲治に紹介したのが、暗黒舞踏「天鶏」の主宰者、田中睦子女史からで、田中は川上譲治の舞台に上がっていた。
  8. 客を劇場外に連れ出し、マントルの内容の行為を劇場ビデオで他の客に見せるショー。「フォーカス」に取り上げられ、客が集まる。
  9. 根暗童子が企画に参加。
  10. ポルノ劇団『五人囃子 』の主宰者の一色が演出。
  11. 目白のプロダクションACCが協力。
  12. 元アドリアーネの会
  13. アングラ劇団出身の宮下夫婦。オフィス405という芸能社で知り合う。
  14. 中山直一とその彼女
  15. 北方舞踏派の主宰者、ビショップ山田の妻
  16. 大駱駝館からの参加
  17. 田中睦子と鳥居氏の夫婦が主宰する暗黒舞踏「天鶏」から鳥居と座員の典子。
  18. 根暗童子と妻のマミ。

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