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*[[辻村隆]]が好んだ初期のモデル。M性が強い、1952年(昭和27年)6月に初めて会う。緊縛の構成を本格的にした最初のモデル。別名:川端棚子<ref name="sugao3"></ref>。 | |||
*[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195209/01/195209_052.html 9月号]に初めて登場<ref group="注">ただしこれ以前に、分譲フォトでは既に現れていた。</ref><ref name="yawa">覆面子白頭巾『緊縛フオトと緊縛モデル夜話』[[奇譚クラブ]]1959年(昭和34年)4月臨時増刊 SADO特集号第2集, [http://nawa-art.com/backnumber/ext/195904ext/02/065.html p68]</ref>。 | |||
*[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)10月号の写真は、2回目か3回目の撮影のもの<ref name="mazo"></ref>。 | |||
*[[辻村隆]]『縛った女を寫す』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195212/02/106.html 12月号] | |||
*1952年(昭和27年)の末に販売していた分譲写真、第三篇、第四篇はほぼ[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]がモデル<ref name="yawa"></ref>。 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『桃色のベールに包まれて(縛られてみて)』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『破った日記帳』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)2月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『ゆうべ見た夢 破った日記帳より』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号 | |||
*[[辻村隆]]・[[塚本鉄三]]『後手と高手小手による緊縛美の考察』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195304/01/006.html 口絵] | |||
*矢作生『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]さんへ』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)5月号 | |||
*羽村京子『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]さんへ』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)5月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『羽村京子さんへ』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)7月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『縛られた女ばかりの座談会』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)9月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『悦虐に哭く 破った日記より』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)10月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『悦虐に咽ぶ 』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『悦虐に悶える』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)1月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『痛いと感じた時』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『モデルの告白 私の好きな縛られ方』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)6月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『或る手紙に寄せて』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)8月号 | |||
*[[辻村隆]]『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195503/195503_033.html 3月号]で紹介。 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『告白 縄と猿轡』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)8月号 | |||
*[[近藤一]]『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]を想う』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)8月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『告白 縄の魅力』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)9月号 | |||
*[[近藤一]]『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]嬢に「悦虐と愛情と」』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)1月号 | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.9D.E7.AB.AF.E5.A4.9A.E5.A5.88.E5.AD.90|川端多奈子]]『バックナンバー』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196207/196207_025.html p136] | |||
*[[芳野眉美]]『アルバム列伝』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196405/196405_052.html p162] | |||
*四国の松山の生まれ。大阪の商事会社事務員だったがやがてやめる。 | |||
*奇譚クラブの読者と結婚したが離婚<ref>[[辻村隆]]「話の屑籠」[[奇譚クラブ]]1958年(昭和33年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195807/01/031.html p34]</ref>。 | |||
2011年1月6日 (木) 23:03時点における版
かわばた たなこ
概要
略歴
- 辻村隆が好んだ初期のモデル。M性が強い、1952年(昭和27年)6月に初めて会う。緊縛の構成を本格的にした最初のモデル。別名:川端棚子[1]。
- 奇譚クラブ1952年(昭和27年)9月号に初めて登場[注 1][2]。
- 奇譚クラブ1952年(昭和27年)10月号の写真は、2回目か3回目の撮影のもの[3]。
- 辻村隆『縛った女を寫す』奇譚クラブ1952年(昭和27年)12月号
- 1952年(昭和27年)の末に販売していた分譲写真、第三篇、第四篇はほぼ川端多奈子がモデル[2]。
- 川端多奈子『桃色のベールに包まれて(縛られてみて)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)1月号
- 川端多奈子『破った日記帳』奇譚クラブ1953年(昭和28年)2月号
- 川端多奈子『ゆうべ見た夢 破った日記帳より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号
- 辻村隆・塚本鉄三『後手と高手小手による緊縛美の考察』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, 口絵
- 矢作生『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
- 羽村京子『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
- 川端多奈子『羽村京子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)7月号
- 川端多奈子『縛られた女ばかりの座談会』奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号
- 川端多奈子『悦虐に哭く 破った日記より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号
- 川端多奈子『悦虐に咽ぶ 』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号
- 川端多奈子『悦虐に悶える』奇譚クラブ1954年(昭和29年)1月号
- 川端多奈子『痛いと感じた時』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号
- 川端多奈子『モデルの告白 私の好きな縛られ方』奇譚クラブ1954年(昭和29年)6月号
- 川端多奈子『或る手紙に寄せて』奇譚クラブ1954年(昭和29年)8月号
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号で紹介。
- 川端多奈子『告白 縄と猿轡』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 近藤一『川端多奈子を想う』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 川端多奈子『告白 縄の魅力』奇譚クラブ1961年(昭和36年)9月号
- 近藤一『川端多奈子嬢に「悦虐と愛情と」』奇譚クラブ1962年(昭和37年)1月号
- 川端多奈子『バックナンバー』奇譚クラブ1962年(昭和37年)7月号, p136
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 四国の松山の生まれ。大阪の商事会社事務員だったがやがてやめる。
- 奇譚クラブの読者と結婚したが離婚[4]。
関連作品
引用文献
注釈
- ↑ ただしこれ以前に、分譲フォトでは既に現れていた。